2022年2月17日木曜日

「三種の神器」とSDGs

 2022.02.17

 昨年下旬から,私は某国家試験勉強に多くの時間を費やしていた.

 10月末でアルバイトを辞め,以降3ヶ月程ほぼ室内に引き籠り机に向かった.その試験が今月6日にようやく終わり,今,一息も二息もついている.

 目指した資格は,私が東京・神奈川で40数年余勤めた社会福祉業種のケジメとして取得しようと思ったものだが,元来の興味関心事に傾注しすぎる性分や,68の年齢に応じた記憶能力の低下や集中力不足から,受験勉強の要領の悪さたるや如何ともしがたいものがあった.

 試験当日,最寄りの大阪の試験会場には何百人もが一同に介したが,残り時間30分を待たずに颯爽と会場を出ていく受験者も何人かいて,きちんと勉強した人は回答も素早いなと感心させられた.対して私は,答案を見直す余裕もないほど時間に追われたため,合格ラインには少し足りないのかもしれない(来月半ばに発表).
 
 まあ,そんな受験勉強ではあったが,この歳になって改めて気付かされたことが幾つかあり,私にとってはとても意味あるものになった.

 それは,社会保障制度など社会福祉法制に象徴的だが,受験勉強としては「○○年,□□制度施行,△△問題発生」など大量の一時記憶に追われるが,それらがどのような歴史的意義や現在に至る関連を持つかなど,あまり考察されることはないと思う.

 しかし,重大な法制度や事象が起こる背景には,ほぼ確実にそれ以前の核心的な状況や周辺事情があり,その<必然>の結果として成立,発生していることが多いと分かる.

 『そもそも,歴史や社会現象ってそういうもんでしょ!』と言われればその通りだが,そうした動向をきちんと読み取る力量が備われば,今後の社会的政治的課題や将来的な対策の見通しを立て得る.まして,目下私達が世界的な大問題として注目していることも,実は私達と密接な関係があって発生しているなどに気付けば,そう冷めた目線でばかりいられない.

 
 例えば,最近,「脱炭素(カーボンニュートラル)社会」や「SDGs(持続可能な開発目標)」という言葉を新聞紙上でよく目にする(ちなみに2つ目のワードは「エス・ディ・ジー・エス」ではなく「エス・ディ・ジーズ(Goalの複数形)」と発音するとのこと).これは,2016~2030年までに世界が達成すべき目標として,193か国が加盟する国連サミットで2015年9月に採択されたものである.

 このSDGsの課題の1つである地球温暖化などについて,私はこれまで「開発途上国の森林資源や化石燃料の過剰伐採・採掘などの結果,自然環境が破壊され,自然災害が誘発されやすくなっている」「オゾン層破壊により太陽光の直射増加~地球温暖化が進み,極点の氷山融解や海面上昇などが,南太平洋の島々の水没危機を招いている」などと認識する程度であった.

 どちらかというと,日常的な自分の関心事というより,少し離れた社会問題として受け留めていた.しかし,今回の学習を通して,この問題は私達にもかなり責任の一端があることを思い知らされた.


 話は1945年の第2次世界大戦終結時に遡る.

 日本は戦争による壊滅的打撃を受け国全体が飢餓的状況にある中,当時のGHQ(連合軍総司令部)指示で「生活困窮者緊急生活援護要項」を応急に取りまとめた.翌年にはGHQ「3原則指示(無差別平等,国家責任による扶助,最低生活保障)」を原理にした「旧)生活保護法」制定,その2ヶ月後に,同原理や生存権保障を軸とする「日本国憲法」を公布.

 更に,1947年に戦争孤児・浮浪児・貧困家庭児等を対象にした「児童福祉法」,その翌年はGHQ指揮下で「旧)生活保護法」で対処するしかなかった傷痍軍人施策等を見直し「身体障害者福祉法」,1950年には「旧)生活保護法」の欠格条項(保護受給権の明確化)改め,より長期ビジョンとして「現)生活保護法」を制定するなど,僅か数年でバタバタッと社会保障・社会福祉の法制化を進めた.それは,敗戦による国民の悲観や抑鬱を爆発させないためにも,国の混乱安定や治安維持,経済再生などを至上命題としたからに相違ない.

 1953年生まれの私(おっとジイさん!)も,幼い頃,まだ町全体が薄汚れて貧しく,大人たちが必死に働いている傍らで,子どもたちは鼻水を垂らしながらいつも同じような服を着て走り回っていたこと,また市の中心駅の昼なお暗い地下道には,軍帽や病衣(軍の白い着物)を纏い義足を脇に置いてムシロ上で下肢欠損のまま座り込み物乞いする傷痍軍人や,通路のあちこちに寝泊まりするホームレス者などもいて,その前を母親に手を引かれながら足早に通り過ぎ不気味な感じを抱いたことなど,その光景は未だに蘇ってくる.

 そうした日本の戦後の一方,戦勝国であった「連合国」サイドは,世界大戦を防げなかった無力感などから活動停止していた国際連盟に代わり,大戦終結の10月には「国際連合」を組織,設立させた.そして,1948年に国連は「世界人権宣言」を掲げ,「人類家族皆が持っている尊厳と平等で譲り渡すことのできない権利」を高々と謳って,世界中に戦後復興と人権尊重の気運を高めていった.

 日本も上記の最悪状況から,やがて「奇跡的な戦後復興」と言われる時期を迎えることになるが,それは恐らく大戦終結5年後に勃発した「朝鮮戦争」特需で大規模な景気回復を得たことなどを含め,1955年から19年間続く「高度経済成長」にうまく乗れたからだと推察する.

 その高度経済成長期に「三種の神器」と言われ,各家庭や巷で豊かさの象徴として持て囃されたものに「電気冷蔵庫」「電気洗濯機」「テレビ」があった.1955年当時の日本社会は,戦後の荒廃期から少しでも豊かな暮らしになろうと家電製品を揃えることもステータスで,「三種の神器」の普及率は1957年にそれぞれ2.8%,20.2%,7.8%であったものが,8年後の1965年には68.7%,78.1%,95.0%と急速大幅に拡大した(電気製品普及データは「秋葉原電気街振興会」HPから引用).

 時代は1964年,復興のシンボルとして「"夢の超特急"東海道新幹線 」が開通し,アジアで初めての「東京オリンピック」も同年開催されるなど,まさに経済最盛期に突入しつつあった.どこの家庭もそのオリンピックをひと目みようと無理してテレビを買い揃え,私も連続TV番組「ひょっこり◯◯島」にワクワクし,洗濯機の手回しローラー(洗濯物絞り用)の構造などに興味を惹かれるなどしていた.


 さて,本題は,その「三種の神器」がSDGsに大いに関係していることである.

 1960年当時の日本の産業は,それまで隆盛だった第三次産業に拮抗し第二次産業(製造業・鉱業・建設業等)が台頭.鉄鋼・非鉄金属・化学と並び一般機械・電気機械も盛んになり,「良質で安い労働力(金の卵)」や「1$360円」の固定為替相場などを背景に,1959年には「通信・電気機器」が輸出品目第6位に上昇するなど,電化製品製造も大いに飛躍した.

 問題は,例えばその「電気冷蔵庫」である.

 今ではどこの家庭にもある冷凍・冷蔵庫は,フロンガスを冷却媒体として使用する.正確には「特定フロン」である「クロロ・フルオロ・カーボン;CFCs」が欠かさず使われたが,これが地球を取り巻くオゾン層を破壊する原因であった.

 『最初にオゾン層の減少が発見されたのは1982年9月で,南極昭和基地の日本隊員がオゾン層が極端に減っている事に気づき,同年10月には同イギリス基地の隊員も確認した.1985年には,1970年代後半から南極上空におけるオゾン量減少を示す論文が発表され,人工衛星で確認した結果「オゾンホール(オゾン濃度が極端に薄くなった領域)」が見つかった(2004年環境省発行パンフレットより要約)』とのこと.

 これらを受け,1985年の「オゾン層保護のためのウィーン条約」や1987年の国連環境計画を議論する「モントリオール議定書」では,オゾン層を破壊する物質を規制するため,特定フロンを1995年までに製造中止,2020年までに製造停止(使用廃止)する目標が掲げられた.

 1930年代にアメリカで開発されたフロンガス(炭素・フッ素・塩素から合成)は,科学的安定性や不燃性,極低毒性が優れていることから急増され,エアゾール製品や冷媒,洗浄剤等に多く用いられた.

 しかし,『その安定性故に,大気中に放出されると対流圏では殆ど分解されず成層圏に達する.成層圏では太陽からの強い紫外線を浴び分解し塩素原子を放出するが,この塩素原子が触媒となりオゾンを分解する反応が連鎖的に起こる.これを繰り返しながらオゾンを分解するため,多数のオゾン分子が次々に破壊されてしまう.

 更に,破壊されたオゾン層から直接照射される太陽の有害紫外線(UV-B)に暴露すると,色白の皮膚の人の非メラノマ系皮膚がん発症のリスクが高まる(「一般財団法人環境イノベーション情報機構」の解説から要約)』とのこと.

 フロンは大気中に放出されると10~20年かけてオゾン層に届くと言われ,その存在を直ちに除去し得ない.仮に1995年に製造されたフロンが大気中に放出されたら,それは数年前にようやくオゾン層に達し,紫外線で分解されながら目下オゾン層を破壊していることになる.つまり,被害顕在化してから削減対策を講じても,効果が現れるまでに相当時間がかかるのである(1988日本政府公表「環境白書」参照).

 現在は「特定フロン」に代わる「ハイドロ・クロロ・フルオロ・カーボン;HCFC」が使われ(但し,地球温暖化を進める温室効果は高い),先進国では1995年以降HCFCに切り替わっているらしいが,それ以外の国では設備切替費用がかかるため,フロン規制は遅れている.しかも,1987年モントリオール議定書以前に製造されたエアコンや冷蔵庫には,未だに「特定フロン」が使われており,何れそれらが処理される際にガス放出されればオゾン層破壊は今後もまだまだ続くことになる.

 まさか,1960年代頃から戦後復興をかけて日本人が必死に製造してきた冷蔵庫が,将来オゾン層を破壊し,重大な問題を引き起こすとは誰も想像しなかっただろうが,日本は世界に率先して大量に家庭用・業務用等の「電気冷蔵庫」や「エアコン」等を製造してきた.

 それは,消費者による定期的な機種交替などを繰り返しながら,その都度新たな「特定フロン」を産出・放出し続けた.そして,今や私達の日常生活に欠かせなくなったそれらの電気製品こそ,目下の世界的懸案事項である地球温暖化やオゾン層破壊の主たる原因であることを考えると,「地球の環境保護」に対する私達の主体的責任は大きいと言わざるを得ない.

 その意味では,私達はもっと「特定フロン」の科学的分解(無化)研究などに尽力しなければならないのだろうが,せめて今の私達にできる身近な環境保護活動として,日頃からマイバッグ使用やプラゴミ弁別,紙資源再利用(ちなみに大手ティシュではnepiaのみFSC:森林認証制度の認証を得ている)などに努めることが,重要な責務だと思う.


 一方,SDGsには「地球の環境問題」に限らない17の目標と169のターゲット(達成基準)が定められている.

 「持続可能な開発目標」の「開発」という日本語訳は,製品や技術(produce,manufacture)などの対象分野を連想させ,日本では環境問題に特化した取り上げが多い.しかし,"Sustainable Development Goals"の"Development(動詞形develop)"には,第一義として「(能力などを)発達させる,伸ばす」や「(議論を)展開する,発展させる」という意味があり,SDGsの"Goal"(獲得しようとするもの,努力目標)には,より身近な生活・事業課題を含んでいる.

 これらの意味を捉えると,私には「継続展開されるべき目標」と訳したほうがしっくり来るが,日本は環境問題だけでなく,「ジェンダー平等実現」や「貧困をなくす」「飢餓ゼロ」「全ての人に健康と福祉を」「質の高い教育」「人や国の不平等をなくす」「住み続けられるまちづくり」「つくる責任,使う責任」「パートナーシップで目標達成」等々,全ての設定目標とその取組み状況をもっと国民に明らかにすべきではないのか.

 このような国連の2015年SDGs採択の背景には,実は「人権や生活保障」獲得のための様々な取り組みが怒涛のように発信されている.その代表的なものを以下に記す.

1948世界人権宣言,1955被拘禁者処遇最低基準規則,1959デンマーク/1959年法(ノーマライゼーション理念),1959児童権利宣言,1969スウェーデン/ノーマライゼーション8つの原理(ニイリエ),1971知的障害者権利宣言,1972ローマクラブ/成長の限界レポート(人類の危機),1972人間環境に関する会議,1975障害者権利宣言,1978アルマ・アタ宣言(プライマリ・ヘルス・ケア),1979女子差別撤廃条約,1981国際障害者年,1981アフリカ統一機構/人及び人民の権利に関するアフリカ憲章,1985オゾン層保護のためのウィーン条約,1987モントリオール議定書,1989独/ベルリンの壁崩壊,1990米/障害のあるアメリカ人法(ADA法),1992地球サミット(リオ会議),1994人権教育のための国連10年・人間開発報告,1997京都議定書,1999国際高齢者年,1999カナダ・ノルウェー/人間の安全保障ネットワーク,2000ミレニアム開発目標(MDGs),2001WHO/国際生活機能分類(ICF),2006障害者権利条約,2012人間の安全保障に関する総会決議,2015気候変動枠組み条約(COP21)等々(国・団体表記がないものは全て国連主宰).

 そして,それらの根底には「人には<人種・国籍・性別・年齢等に拘らず平等に生きる権利>や<平和で安全,清潔,一定程度豊かに暮らす権利>が尊重,保障されるべきで,誰一人取り残さずそれを享受できるようにしなければならない」という当たり前の理念が流れているように思う.しかも,その理念はテーマや分野を変え,世界中で脈々と引き継がれ取り組まれている.

 こうした流れは,日本においても社会保障・福祉法制度の度重なる改正や制定を起こし,特に障害児・者関係法や福祉関係司法では,際立って改善に向かう歴史的必然を得たはずである.それは,行政庁の認可を得ながら今からつい50年前まで続いた「※精神障害者の私宅監置」や,昭和の前半まで全国各地にあったであろう障害者の「座敷牢」幽閉,1984年発生の「宇都宮病院事件(精神障害の入院患者虐待死)」など悲惨な<負の歴史>にも拘らず,1990年の「社会福祉八法改正」以降2014年の国連「障害者権利条約」批准に至るまで,折り畳むように改正法が成立してきた過程を見ても明らかである.

※日本の精神医学の草分けである呉秀三によると,明治初期まで「瘋癲(ふうてん)人」と呼ばれた精神病者(当時の名称)への対応は,当時は不可解な病気故に加持祈祷や寺社仏閣収容の対象となった他,日本の文化風土から<家系の問題,家の恥>などに矮小化(=身内のことは身内で対処すべき)され,「私宅(4畳程の小屋など)での監置」が横行したらしい.
 各府県で対応の違いはあったが,1900年制定の「精神病者監護法」で,実態先行していた「私宅監置」を規定(=認定).以後,祈祷・民間療法,寺社仏閣収容等と共に,私人による「私宅監置」が行政(警察,後に保健所)への届け出を条件に全国各地で行われた(1918年呉報告の「精神病者私宅監置ノ実況」によると,全国十何万...14~15万人?と推定された精神病者の内,精神病床患者5000人を除く残りの人たちが対象となったのではないか).
 その後,1950年「精神衛生法」制定により「私宅監置」は禁止となったが,特別な事情があった某県では1972年まで続いた.こうした状況は,精神障害への無知・偏見による精神医療体制の不備(治療・リハ施設としての精神科病院不在)が大きく影響したとされる.


 

 以上,長々述べた上述の引例は,私が今回の学習を通して再確認した1つに過ぎない.

 興味関心に惹かれ,そのテーマを順次掘り下げるほどに,その歴史的必然も見え隠れした.今回は特に,受験対象の数科目について,数年前に出版された某有名テキストとその最新テキストを読み比べる機会があった.すると,最新の試験情報量を中心に簡潔に記載されたテキストに比べ,数年前のテキストには事象が起きた原因や周辺経過の理解が進むより丁寧な説明が書かれていた.

 確かにテキストの執筆陣も世代交代しているが,社会福祉事業を深く志そうとする者に対して,資格取得の参考書のような内容に傾倒していくことは,やはり寂しい限りである.その点では,国家試験勉強と実際の受験を経験して,出題内容にも同様のことを感じる.

 出題は,単に知識や記憶を計るものだけでなく,何故そうなるかの歴史的理論的必然の理解に基づくものであってほしいと思う.それは即ち,そうした教育課程や学習が社会福祉従事者に必要であることを示すことになるし,教える側にもそれらへの確かな理解と考察が求められるからである.

 『そうでなければ,国家資格なんて,単なる特定業種独占のための条件にしか過ぎないじゃないか』と穿ってしまうが,まあ,『そんなこと言ったって,資格取らなきゃその業種に就くことすらできないじゃない!』と言われればごもっともなので,「今回ダメなら再チャレか!」って,またあの苦しい時間が蘇ってくる.
 あ~ぁ,受かっていてほしいナ~!