2022年3月12日土曜日

桜...咲く...

 2022.03.11

 11年前の4月2日の夕方,私は岩手県釜石市の中心地にある真っ暗な交差点を,恐る恐る車で横切った...


 東京で身体障害を主体とする成人当事者の方の入所施設(障害者支援施設)を運営していた私は,3月11日昼過ぎに発災した東日本大震災の甚大な被害が次第にリアルに報道されるに連れ,東北の同種施設の状況がかなり心配になった.

 そこで,彼らの被害状況などを確認しようと,施設が所属する全国組織に連絡しても状況分からず,ネットのホームページから電話番号を調べ片っ端から電話しても勿論つながらず.

 結局,心配がどんどん重なるままに時間が過ぎたので,遂に発災3週間目の仕事休みの週末に状況を確認してこようと,毛布1枚を車に積んで1日深夜に被災地に向かった.

 首都圏を抜け東北自動車道に入ると,自衛隊の確か「災害救助」と書かれた横断幕を下げたトラックを目にするようになり,福島を過ぎる辺りには全国各地のナンバーを付けた自衛隊車が行き交う光景が飛び込んできた.そして,それまで特に変化がなかった仙台に着き,ガソリン補給しようと並んだスタンドには長蛇の列,食料も少し用意しようと思って入ったコンビニの棚は,食料は愚かほぼ何もない状態だった.

 そして,三陸海岸の国道に入り北上すると,程なく街道沿いに放置された横転した車を見かけるなど,いよいよ震災の甚大な惨状を見せつけられることになった.そうした様子は,当時私が起こしたブログ「Tarowからの手紙」http://minor1124.blogspot.com/にも書いたのでお時間ある時見ていただきたい.

 ただ,気仙沼付近に近づき,走っているR45の高台から下り坂を降りようと目線が眼下に向いた瞬間,遥か遠くの岬まで,洗いざらい津波に持っていかれ家の礎石だけが残る広大な更地と化した信じられない湾岸の光景が目に飛び込んできて,以降...その上空を大型の自衛隊ヘリが数機ホバリングを続け,地上では長い竹竿を持った何十人もの自衛隊員が等間隔に並び地面を突きながら遺体を捜索している様子や...釜石市内の何か所かの道路に海から舞い上げられ転がっていた体長30~40cmはあろうかという魚たちの姿...多くの道路の両脇に寄せられた瓦礫に腐敗防止のため撒かれた消石灰の鼻をつく臭い...日が暮れて釜石市内に入った際,信号は愚か辺りに何の照明も全くない真の闇の中を,こわごわ車のヘッドライトだけを頼りに広い交差点を横切った経験等々...それらは,今でも私の記憶の中にしっかり鮮明に焼き付いている.


 でも,今日はその震災についてではなく,2月24日から始まったロシア軍によるウクライナ侵攻に関して,どうしても言いたいことがある.

 少なくとも,日本の新聞紙上で今年の年明けには確認されたロシア軍のウクライナ国境付近への集結について,ロシア軍は遂に国境を破り武力侵攻を始めた.その背景には,ロシア大統領プーチンなりの理由と決意があったであろうとは想像する.

 それは,1991年12月のソ連邦の崩壊時,東欧社会主義国の軍事同盟であったWPO(ワルシャワ条約機構)に対抗する勢力として結成された西側自由主義圏NATO(北大西洋条約機構)が,ソ連邦崩壊以降も解散もせずそのまま存続していることや,NATOはロシアに敵対せず友好関係を結び,更に東に勢力拡大しないと(口頭)約束したにも拘わらず,1999年のチェコ,ハンガリー,ポーランドに続き,2004年にはバルト三国(エストニア,ラトビア,リトアニア)などがNATOに加盟し,その圏域が拡大していること等々に対する不信と憤りがあったのかもしれない.また,その延長で描いている「偉大なるソビエト社会主義共和国連邦の復活」という膨大な野心が中々実現しないことへの焦燥感がそうさせたのか,真相は分からない.

 それでも,2002年5月に『ウクライナは独立した主権国だ.自らの平和と安全保障は自ら決める』と公言した(らしい)プーチンは,その時点までは旧ソビエト連邦構成国の独立を黙認するかに見えたが,2008年にNATOが加盟希望のグルジア(ジョージア)とウクライナの将来的加盟を認めたことにより,前言を撤回,世界世論を敵に回すのも構わずウクライナへの侵攻に踏み切ったと考えられる.

 プーチンは,ロシアのすぐ隣に位置するウクライナのNATO加盟を,"レッドライン(越えてはならない一線)"と位置付けているそうで,それだけプーチンにとってウクライナのNATO加盟は危機的状況であると考えたのであろう.

 しかし,私は,そうしたプーチン率いるロシアとNATO側の歴史的経緯を含む主張の是非をここで論じたいのではない.

 国家間,大国同士の取り決めや,特に「民主主義」対「専制主義」というドラスティックな図式で対立を煽るバイデン大統領の主張などは,自国の利益に資するか否かの判断で如何様にも変わり得る.それが証拠に,世界中を巻き込むロシア包囲網の筆頭たるかつての「世界の警察」アメリカ合衆国は,これだけの人権侵害や殺戮の限りを目の当たりにしても,声高な非難と武器提供,経済制裁以外の公然たる介入は何もしようとしない.

 それにはロシア同様,アメリカなりの理由があるのだろうが,私が強く訴えたいのは,こうした国家,大国の自国<都合>や<エゴ>に,世界中のどれだけの人の涙と血と生命が奪われればいいのか,ということだ.

 私は,今日(3/11)の朝日新聞国際欄に掲載されたウクライナ外交官の発言に関する記事を読んで,国連ですら実力介入せず「非難声明」という傍観席に座っているだけの態度に強い憤りを感じるだけでなく,主犯であるロシア軍の横暴に対しては,心底,腸が煮えくり返っている.


 『ロシア軍に占拠,包囲された町や村では,苦しみが頂点に達している』.外交官は涙をこらえ,声は震えている.『女性たち,子どもたちは事実上,人質に取られている.去ることは許されず,人道支援も入れてもらえない』

 この外交官が次に言及したのは,ウクライナ東部ドネツク州の港湾都市マリウポリでの出来事だった.『きのう,6歳の少女が脱水により亡くなりました.母親がロシアの砲撃を受けて亡くなっており,少女は人生最後の瞬間を一人で過ごしていました』.外交官は,孤児院の女性教員3人が亡くなったこと,ロシア軍による複数の性的暴行が確認されたことも指摘.


 これらの記事は,ウクライナ側の誇張非難ではなく,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も確認しているようなので,ほぼ事実と受け留めていいだろう.

 そうすると,ロシア軍はこの21世紀の人道主義や博愛主義,ヒューマニズムが当たり前の共通価値となる現代で,「人に非ず」の非道の限りを尽くしていることになる.『プーチンは人ではない!』と叫ぶウクライナの人が報道されるニュースもあったが,まさしくそうなのかもしれない.

 周囲を海に囲まれた日本では,陸続きに他国があり国境での緊張が高まる状況などは想像しにくいが,国境を超えると景色や生活水準,雰囲気が一変するなどは決して珍しいことではない.まして,その両国間が紛争し,今回のように戦争が始まれば,先程の外交官のように『ロシアの侵攻が,私たちの生活を劇的に変えてしまった』という発言の通りだろう.

 昨日まで雨風を凌ぐ平和な自分の家で,美味しい食事を家族と共に摂り団欒し,温かいシャワーを浴び,温もったベッドでゆっくり休むことができていた人たちが,今日,いきなり砲撃で無差別に家を破壊され,共に暮す親や兄弟,夫や妻を蹂躙,或いは殺され,着の身着のまま国を追われ,凍てつく夜道を隣国に向け飲まず食わずで逃げ続けなければならないなどの状況を,誰が想像できただろう.

 こんなことを思い浮かべるだけでもおぞましくなる光景が,このたった今も,実際に東欧のウクライナで起こっていることを,日本人である私は正直,しっかり捉えきれない.


 でも,この極悪非道の主導者たるプーチンの意識は,プーチンという<悪魔>だけが持つものだろうか... 私は,自分を含め,そう振り返らざるを得ない.

 正直言うと,これが<人間の本性>ではないのか,とさえ疑える.

 人は他人を傷つけ,心身を犯せば,今の社会の中では<犯罪>として裁かれる.そうした行為が過ぎて人を殺めてしまったとしたら,更に重大である.しかし,そうした<犯罪>行為は,遠いウクライナではなく,このコロナ禍の日本においてもアニメーション会社や心療内科医院への放火による大量殺人事件や,嬰児殺し,幼児虐待などの事件で現に散見される.

 特に,戦争という国家規模の<暴力>が展開される状況では,人は人を殺すことに躊躇や自制を失っていくだろうし,<相手を殺さなければ自分が殺される>という論理で殺人が正当化される.

 しかし,こうした暴行や殺人が常態化すると,人の<精神>は壊れる.戦場における兵士が母国に帰り安寧な日々に戻っても,<安寧な日常>の中では<暗黒のエゴ>は沈静されないからだ.かつて,アメリカ合衆国が行ったベトナム戦争やイラク,アフガニスタン戦争からの帰還兵が,未だにPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い,自死する者も少なくないことがそれを物語っている(The New York Times2008レポートHUFFPOST2014.04.09ニュース赤旗新聞2014.8.14記事映画「沈黙の春を生きて」坂田監督インタビュー).

 だからこそ,そうした戦争が実際に起っている今,人はどうしたら殺戮を止められるのだろうか.

 殺戮に対する抵抗=暴力を自らは振るわないために,インドの神聖ガンジーが謳ったように「無抵抗主義」を貫けばいいのだろうか.でも,そうすれば,ウクライナの人たちは生命の保証と引き替えに<精神>を略奪されてしまうだろう.そうであれば,そのプーチンを止めるために,西側?も実力行使に踏み切るのだろうか?

 今,西側諸国は連携して強力な経済制裁を発動している.しかし,実力行使でロシア軍を鎮圧しようという気配は,どこの国にも国連にも全くない(できない).それは,プーチンがちらつかせている「核の脅威」のためだと言われるが,そもそも,ロシアのみならず「核抑止力」を看板に東西で核兵器の開発競争をして,何百回分も地球を破滅させられるほどの核を造ってきたのは,今反目している核保有国たちではなかったか.

 そのアメリカを筆頭とする核保有国たちが,プーチンの暴挙をプーチンがちらつかせる「核」のために制御できないというのは,『自分たちが撒き散らした<害毒>が危険なので,自分たちでは片付けない』と言っているようなものだ.しかも,彼らは新たな他国の核保有を許さず,自国の抑止力行使を<核を傘に>主張し続けている.これほど身勝手な論理はあろうか.

 こんな理不尽な,力づくで捻じ伏せるパワーゲームを繰り返してきたのは,西であれ東であれ,「先進国」と言われるいくつかの大国や「核保有」の威力を妄想する一部の国たちだ.その延長線上に今のウクライナ情勢があるのだから,誰がロシアだけを非難できようか.

 愚かな<人>の<愚かな行い>の結末は,最悪,「核兵器の使用」という人類最後の幕を引くことになりかねない.それは,地域や規模を限定した「戦術核」であろうが,一切合財が破滅に向かう「戦略核兵器」の使用であろうが,その結果は広島市リポートなど見ても明らかである.https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/9399.html

 核兵器は,最終兵器"The Ultimate Weapons"と言われるその破壊力の規模のみならず,以後数十~数百年に亘る放射能汚染が,降下地域は勿論,周辺地域を含む生態系を壊滅する.被爆された方は凄惨な死に晒され,その痛ましい後遺症に永く苦しむだけでなく,全作物が死滅或いはその収穫がかなりの長期間無効となる結果,日本のように食料自給率が僅か(2019年で38%)しかない国を始め,遠方にある国でも,グローバルな食材料供給システムが破綻することで,程なく自滅の途を辿ることになる.
 そうすれば,どこかの国の映画じゃないが,地球上で生き残れたのはほんの一握りの食料確保ができた人たちだけだった,などという状況になりかねない.
 
 そんな幕引きは,絶対してほしくない.
 今日の朝日には,こんな記事もあった.
 「問題は,プーチン氏の頭の中で核をめぐる便益とリスクのバランスがどうなっているのかです.彼の世界観を一言で表せば『ロシアのない世界に存在理由はあるか』.欧米の経済制裁でロシアが債務不履行(デフォルト)になって国家として破綻したとき,破綻するくらいなら世界を吹き飛ばす覚悟で核兵器を使うかもしれない.そこが分かりません」

 東日本大震災では,亡くなられた方は行方不明者を含め2万人を超えた.
 自然災害で,否応なく2万人を超える生命が消えてしまった.
 それなのに,人災の最たる「戦争」などで,例え1名であろうと,無意で悲惨な終わり方しかあり得ない死を招くなぞ,これ以上の愚行はあろうか.
 これらを冷静に考えれば,<利己>や<私益><自己都合>に終始しようとする人の<本性>を超えて,最低限,主義主張の違いや相手の存在を互いに認め,共存していかれる<知恵>を本気で求めようとすることが,人類存続のために必要なのかもしれない.
 そうでなければ,待っているのは全生物の破滅だけだ.

 どうか,これ以上の殺戮は止めてもらいたい.
 これ以上殺戮が繰り返されないよう,心から強く訴えたい.


(今日を待っていたかのように咲いた一才桜「旭山」...
              高野山の自室にて)

2022年3月10日木曜日

Count down

2022.03.09

 70直前の歳になってしまった.

 若い頃は70歳なんていう歳は本当に高齢で,残りの人生が真に見え隠れする時期だよなと思っていたが,自分が実際にその歳になって,『私は年寄りなんだろうか?』と思ってしまう.

 受験勉強のため,実質3ヶ月間引きこもり状態を作り殆ど外出せずいたので,終わったら少し羽根を伸ばそうと思っていたが,予想外に高野山に残る雪のため思うような散歩や外出もできず,この数日,やっとバイク置き場周辺の雪が溶け出したのを機に,バイクを引き出した.

 『バッテリー上がっちゃってるかな?』という心配も何のその,一発セル始動で動いてくれた800ccにまたがり,高野山道路をハイスピードでというより,右に左にくねるカーブを泳ぐように走り続ける爽快さを味わうために,ようやく乗れた.

 バイクは運転者がハンドルを切って曲がるというより,ハンドルはほんとに軽く握るだけでカーブの方向に身体の重心を合わせ身体を傾ける(バンクする)と,「セルフステア」といってバイク自体が自然に曲がっていってくれる.

 これをセンターラインを超えて対向車とぶつからないようにうまく無理なくできるようになると,ほんとに風に乗って宙を泳いでいるような爽快感を味わえる.高野山道路はそんなバイカーにうってつけのルートなのです.

 そんなライディングをこの数日したり,本当に久し振りに「奥の院」や「(壇上)伽藍」まで散歩したりしているが,そうした体を動かす楽しさや爽快さの感覚は50代やそれ以前と変わっていない.

 

 ただ,誕生日がどうのという歳ではなくなったが,一人で暮らしていて,この日を分かち合う家族がいるわけでもなく,東京の親しい知り合いの一人からLINEをいただいた他は,特に何もない誕生日を昨年同様静かに過ごすと,つくづく<独り>を実感する.

 唯一やったのは,高野山に移る前,山下の近隣に紀州高野紙の紙漉き体験資料館があり,その裏庭の小さな池にメダカが放されているので,そのメダカたちに餌やりに行ってきたことだ.

 実は,山下のアパートに居るときも休みの時は一人そこに行き,泳ぐメダカを見て過ごすことが何度かあったが,私はアパートでもメダカ数匹を飼っていたので,高野山への引っ越し時,その資料館にメダカを引き取ってもらっていた.

 そのため,高野山に移ってからも何度か餌やりに行っているが,今日もバイクライディングを兼ねて行ってきた.

 今,和歌山に移ってからのそんな私をずっと見てくれているのは,その資料館にまだ生きているかもしれないメダカたちだけ,かもしれない.<哀れ>と言えば哀れだな~と思わないわけでもないが,<こうしてここで歳をとっていくんだな>と覚悟を決めるしか方法がないものね...

 自分で80歳までとした人生のリミットに,今日で後4,016日.もう残り10年となってしまったから,カウントダウンは始まっている.

 自分がやりたいこと,やらなければならないと思っていること,勉強でも趣味でも活動でも<やり倒してやる>というのが,69になった私のケツイなんだけど,この高野町で最期を迎えたい...という想いは変わっていない.私の中では,『高野町はそんな所だよな~』と思わせてくれる.