2022.03.09
70直前の歳になってしまった.
若い頃は70歳なんていう歳は本当に高齢で,残りの人生が真に見え隠れする時期だよなと思っていたが,自分が実際にその歳になって,『私は年寄りなんだろうか?』と思ってしまう.
受験勉強のため,実質3ヶ月間引きこもり状態を作り殆ど外出せずいたので,終わったら少し羽根を伸ばそうと思っていたが,予想外に高野山に残る雪のため思うような散歩や外出もできず,この数日,やっとバイク置き場周辺の雪が溶け出したのを機に,バイクを引き出した.
『バッテリー上がっちゃってるかな?』という心配も何のその,一発セル始動で動いてくれた800ccにまたがり,高野山道路をハイスピードでというより,右に左にくねるカーブを泳ぐように走り続ける爽快さを味わうために,ようやく乗れた.
バイクは運転者がハンドルを切って曲がるというより,ハンドルはほんとに軽く握るだけでカーブの方向に身体の重心を合わせ身体を傾ける(バンクする)と,「セルフステア」といってバイク自体が自然に曲がっていってくれる.
これをセンターラインを超えて対向車とぶつからないようにうまく無理なくできるようになると,ほんとに風に乗って宙を泳いでいるような爽快感を味わえる.高野山道路はそんなバイカーにうってつけのルートなのです.
そんなライディングをこの数日したり,本当に久し振りに「奥の院」や「(壇上)伽藍」まで散歩したりしているが,そうした体を動かす楽しさや爽快さの感覚は50代やそれ以前と変わっていない.
ただ,誕生日がどうのという歳ではなくなったが,一人で暮らしていて,この日を分かち合う家族がいるわけでもなく,東京の親しい知り合いの一人からLINEをいただいた他は,特に何もない誕生日を昨年同様静かに過ごすと,つくづく<独り>を実感する.
唯一やったのは,高野山に移る前,山下の近隣に紀州高野紙の紙漉き体験資料館があり,その裏庭の小さな池にメダカが放されているので,そのメダカたちに餌やりに行ってきたことだ.
実は,山下のアパートに居るときも休みの時は一人そこに行き,泳ぐメダカを見て過ごすことが何度かあったが,私はアパートでもメダカ数匹を飼っていたので,高野山への引っ越し時,その資料館にメダカを引き取ってもらっていた.
そのため,高野山に移ってからも何度か餌やりに行っているが,今日もバイクライディングを兼ねて行ってきた.
今,和歌山に移ってからのそんな私をずっと見てくれているのは,その資料館にまだ生きているかもしれないメダカたちだけ,かもしれない.<哀れ>と言えば哀れだな~と思わないわけでもないが,<こうしてここで歳をとっていくんだな>と覚悟を決めるしか方法がないものね...
自分で80歳までとした人生のリミットに,今日で後4,016日.もう残り10年となってしまったから,カウントダウンは始まっている.
自分がやりたいこと,やらなければならないと思っていること,勉強でも趣味でも活動でも<やり倒してやる>というのが,69になった私のケツイなんだけど,この高野町で最期を迎えたい...という想いは変わっていない.私の中では,『高野町はそんな所だよな~』と思わせてくれる.
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