2023.01.09
まず初めに、無作法極まりない私に、変わらず賀状を送っていただく数少ない友人の方々に、心からの感謝と、共に新年が迎えられたご挨拶を申し上げたい。有難うございます。
文章ブログとしては1ヶ月半以上振りになる今回の投稿は、今までより混乱を極めるかもしれない。予めお詫びする。また、皆さんにかつてお送りした「遺言プロローグ」の最後に、私はある就労支援事業所で働き出す旨お伝えしたが、今回お伝えしたい内容とも係るので、その後経過についても簡単に触れたい。
経過で言うと、働き出した事業所は、ちょうど1ヶ月で辞めさせていただいた。
私にとって福祉的就労はその利用者の生活過程の一部であり、就労以前に取組むべき生活課題が明確であれば、それらを含め支援する必要があると考える。そのために新たな事業が必要があれば、小規模でいいから着手すべしと思うのだが、民間企業の経営側とはその認識に大きな差が生じ、1ヶ月間各種の協議を重ねたが合意に至らず。身を退いた。
以後、目指す国家資格取得の受験勉強を口実に定職には就かず、時々頼まれてアルバイトでお寺関係の掃除などを務めている。昨年はある事情から受験勉強を中止(今年受験はなし)し、今は某寺から頼まれた庭(掃除)師もどきを、週2~3回短時間している。その不定期収入と、老齢基礎年金、親から受けた相続などで生き永らえているが、後10年と考えている残り時間をそれらで過ごせれば、何とかなるだろう。それについても、徐々にお話したい。
さて、昨年末から今年の年始は、掃除を手伝うお寺の宿坊もお休みで他の方も休まれるため、掃除(冬季は雪かき)は休止(仕事は私の判断で時間・時間帯・曜日・周期はほぼ随意)し予期せぬ時間ができた。どうしようかと考えたが、もう「寝正月」など無為な時間は使えないため、考えた末にネット検索で必要な予約を取った。その予約とは、何回目かになる「歩き遍路」の宿の手配であった。
「年末年始に宿やってるんだ!」と喜んだが、大晦日は何と四室満床! 正月元日の予約を取った。その宿がある遍路コースは、5年前、私が初めて歩き遍路に取り組んだ区間で、「遍路ころがし」という難所の代表的な1つであった。
当時、歩き遍路初心者だった私は、欲張って背負った荷の重さに苦しみ、肩が千切れそうになる痛みに耐えながら同山中を必死に登っていた。お遍路に出る少し前、離婚し家庭を壊してしまった己の愚かさや身の辛さが嘆かれ、つたう涙が降り出した小雪で冷たくなった頬をほのかに温めてくれたことを、今でもはっきり覚えている。
その四国札所随一の難所として知られる12番焼山寺を、再び歩こうと思った。
元日のご来光をあの焼山寺で!と思ったが宿手配が叶わず。そのため、今回は自家用車で和歌山港から徳島港を結ぶフェリーの「乗用車航送プラン」なるものを利用し、車共々徳島に渡ることにした。そして、そのまま車で札所11番藤井寺に向かい、同寺門前の有料駐車場で大晦日は車中泊。車はそのまま数日駐車し、元日未明に焼山寺に向け歩き始める。
藤井寺~焼山寺は「健脚で5時間」コースなので、寺まで行けずとも山路途中でご来光を迎えられると考えた。
ほぼ70年生きてきた私も、さすがに大晦日の夜に軽自動車(パジェロミニ)の狭い車内で車中泊するのは初めてで、より快適に寝られる工夫はしたが限界は明らか。また、高野山より僅かに温かい程度の四国山岳部の寒さに備え、車にシュラフマット、冬用シュラフ、ブランケット等を持ち込み、ユニクロやモンベルの防寒衣料を着ることにした。
大晦日、有料駐車場に入る前に地元住民向けの湯場に浸かり、開いていたファミレスで食事を摂って、他に1台も停まっていない広い崖下に広がる駐車場の隅にパークイン。用意した就寝準備を広げ、22時前にはシュラフに入る。寝こんでからちょうど深夜0時に、除夜の鐘が遠くで聞こえたがそのまま寝続けた。
12番焼山寺への山路は、11番藤井寺の境内隅にある脇道からいきなり傾斜が始まる。
こうした山路導入もそれ程ないが、標高40mの藤井寺に対し焼山寺の標高は705m。同札所間の距離は12.9kmなので、単純計算で山路1km進む毎に標高51m以上を登る。人間の平均的な歩行速度は時速4kmと言われるので、ほぼ15分歩く間に高さ50mを上がるペースを数時間続けるに等しい。
加えて、焼山寺に至る遍路道にはほぼなくなっていたが、すぐ横の山肌にはしっかり雪が残っていて、標高938m焼山寺山の奥深さは、積雪夥しい標高約900m級の高野町とそれ程変わらないと思い知った。
藤井寺を出る時、辺りは当然真っ暗で、ヘッドライトを点けながらの歩きでも少々危ういと思い、出立を6時半頃に遅らせた。
その藤井寺から200mほど登った所に端山休憩所があり、そこからは遠く阿波市を望む吉野川流域がずっと開けて見える。辺りの暗い色調の中で、遠く吉野川周辺の家々の明かりだけがキラキラ輝いて見えだした頃、予報ではご来光は7時過ぎ(10分頃?)だったのでそろそろかなと思っていると予想通り景色が変わり、流域全体を新たな光が照らし出した。
その眩しい光の動きは、ここまで登った者にしか見られない壮大な光景で、更に新年の到来を感じさせた。
それから30分も歩いたろうか、私が初日の出の眩しさを確かめられたのは、開けた休憩所を過ぎて、生い茂る木々の間からだった。それでも、「あ~、年が開けたんだ...」と実感して、先を急いだ。
![]() |
| 私が拝めたご来光 (7:40am) |
ここ数年、コロナ禍の影響で、特に歩き遍路が道を辿ることは極めて少なくなったと感じている。昨年5月に香川を回り奥深い山路を歩いた時には、至るところに張り巡らされた蜘蛛の巣に閉口したが、今回は雪もさることながら、雪氷に塗れる落ち葉や岩肌、道を塞ぐ倒木などが目に付いて、遍路道の荒廃振りが気になった。
それでも、焼山寺はまだまだ見えなかった。





0 件のコメント:
コメントを投稿