2021.05.24
今日の富貴への配達時、いつも見慣れた道筋に、何回か、普段は見ない<急に動くもの>が見えた。それは、40~50m先のガードレールの付近をサアッと通り過ぎていき、最初は車が来るのかな?と思い、出会い頭に気を付けなくちゃと思いなが進んでも、一向にその姿はない。
おかしいナと思いながら進んで、また少しすると、同じようなことが先の30~40m付近で起こる。
それを3~4回繰り返すと、「何かがいる」と感じた。それもお山の<何か>が、である。「そういう時もあるのだな」と思い直し、今日は往復した。
ちょっと必要があって、昔の資料が入ったダンボール箱を夜ひっくり返した。
すると、昔インドに行った時の写真が山ほど出てきて、とても懐かしく眺めた。
カルカッタは勿論、マナリ、レー(チベット)などの光景や、ビザ延長のため一時出国したネパールでの写真などもたくさん出てきて、あの時の時間にタイムスリップしたようだった。
そこで共に時間を過ごしたり、すれ違ったりした多くの人達の顔や姿も写っていて、今どうしているのだろうと、少しの間、想いに浸った。
過去の時間は取り戻せない。
あの頃がすごく思い出されても、もう、戻れない。
そんな、少し普段と違う今日を過ごし、<何か>が変わるらしいことを感じる。自分が気付かない<何か>が、変わりつつある(らしい)。
そうした今夜、何度か中断し諦めていたある課題に再挑戦しようと、思い直した。
それを、明日から始めようと決め、今夜はその準備をした。
私を通り過ぎた<過去>は、取り戻すためにあるのじゃなくて、<迷っている今>を導いたもの。そう思えば、<今>を悔いないように過ごさなきゃ、また未来の<悔い>を産み出すことになる。その<分かりきった自明>を、もう何十年も繰り返してきた。
精一杯(という表現しかできないけど)、やってみるしか、ないか。
普段と違う<何か>を背負った今日は、間もなく閉じることに、しよう。
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