2022年7月18日月曜日

<有り体>の人

 2022.07.18

 昨年5月,初版発行から2ヶ月後に発行された第四刷をネットで買った.

 以前,このブログでもちょっと触れたが,篠田桃紅氏の著書「これでおしまい」である.

 確か,新聞の広告に出たのを目にして,そのタイトルに惹かれそのままネットの購入ボタンをポチッとした.そもそも初刷は彼女が亡くなってから27日後に発行されたが,第四刷はその2ヶ月後だったから,1回の刷数にもよるが結構な売れ行きだったに違いない.

 しかし,その書を読むほどにその文体の潔さが尾を引き,次から次へと著作(私は中古専門)を求めた.

 結局,彼女は,東京都青梅市の病院で老衰のため107歳で亡くなられたとのことだが,彼女は書家であり墨を用いたアーティストであり版画家であり,エッセイストでもあった.


 1913年生まれの彼女は,幼いときから漢学者である父親に書の手ほどきを受けたが,女学校(戦前の旧制中等教育学校)時代には単身米国留学した北村透谷の未亡人に英語教育を,詩人の大鹿卓(金子光晴の弟)に化学の授業を,書道家の下野雪堂に習字を習うなど,恵まれた環境で過ごした.

 そして,戦争突入前に西洋から流入した大正モダニズム(大正デモクラシー)などの影響を受けながらも,国粋主義一色に染まった戦中を疎開を含め苦労して過ごす.しかし,当時の「女学校を出たら結婚して奥さんになる」常識に反発して,「自分の自由に生きる=何ものからも自由である」信条を貫いた結果,やがて「(墨)書」により身を立てようと決意,実行する.

 戦後,「アートの好きなGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の将校や兵士たち」とも知り合いになり,彼女の「作品は広く海外でも知られるようになる」と,何回かの作品発表の後「海外・国内の美術館への出展依頼が相次ぐ」ようになって,遂に1956年に渡米(渡航費・一部滞在費含む招待)する.

 渡米中には,当時フランスで洋画を学びニューヨークに移り住んで人気作家として大成功していた岡田謙三氏や世界トップギャラリーのオーナーたちとも交流を重ね,一躍世界的なアーティストになる.

 彼女の作品は世界中のトップギャラリーや美術館(メトロポリタン美術館,ロックフェラー財団,アート・インスティテュート・オブ・シカゴ,グッゲンハイム美術館,大英博物館,ドイツ国立博物館東洋美術館等々)は勿論,国内の美術館や皇居御食堂,国立代々木競技場貴賓室,国立京都国際会館,増上寺本堂等々にも収蔵されている.しかし,彼女の凄いのは,それら数々の栄誉にも拘らず,一切の賞や証の類を受けずに通したことだった.


 『アートなんていうものは賞の対象にならない.セザンヌはなんの賞も受けていませんよ.モナリザを描いた人にどういう賞をあげるの? 芸術に賞はつくりようがないんですよ.賞は毒にも薬にもならない.だから私は辞退してきたんです』『ルノアールの絵とゴッホの絵,どっちがいいかと言われたらどっちにします? ルノアールとゴッホ,戦争になりませんよ.ルノアールはルノアールでいいんですよ.ゴッホはゴッホでいい.戦いませんよ』

 こうした芸術に対する見方だけでなく,107歳まで貫いた生き方にも彼女は言及している(『』内は全て著書「これでおしまい」から引用).

甲骨文字の「人」
 『人は結局孤独.一人.人にわかってもらおうなんて甘えん坊はダメ.誰もわかりっこない』『人生というのは究極に孤独なんですね.誰もその人というものをそっくり受け止めることはできない.夫婦も無理,親子も無理,友達も無理.みんなその一部を共有したということでしょうね』『「人」という字は支え合って初めて人になる.そう説明しますけど,文字の成り立ちを見れば,一人(※写真参照)です.一人で立っているんです.手を前に出して,人と関わろうとしている姿です』

 

 『人は自由にどのように考えてもいいのです.どのように考えてもいいどころではありません.どのようにも考えなくてはいけない.それが自分の人生を生きる鍵です』『自由はあなたが責任を持って,あなたを生かすこと.人に頼って生きていくことではない.あなたの主人はあなた自身.あなたの生き方はあなたにしか通用しない』『自分はこうやりたいと思ったからやっちゃう,というやり方で生きたほうがいい.だから客観的に自分を動かさないで,主観的に自分を動かす』

 そして,自分の人生を振り返って...

 『自分がやりたいようにやってきた.価値観も私流でやってきた.それを一生貫けた.それでご飯を食べることができた.それでいいと思っているの』『まったくの有り体で暮らす.その人の一番の自然なありかたで暮らすのが一番いいと思っています.お互いがそうできれば一番いい』 と,語った.

注文した「墨いろ」はまだ届いていない
 彼女がエッセイストとして現した言葉は,それこそ限りなく多い.しかし,それらの一つ一つを読み返す度,全くその通りの人なんだな,と感心する.彼女にとって,残した言葉の数々が<人生そのまま>だったんだと思える.つまり,<有り体>なんだ.


 
 こんな彼女の言葉を改めて見ると,後8ヶ月余りで70歳になってしまう自分は,こんな時の過ごし方をしていて良いのだろうかと考えてしまう.

 もう,仕事は40年以上も充分やってきた.時間に追われ,朝決まった時間に起き用意をして,ずっと収入確保手段としての仕事を続けること(must)には疲れた.勿論,仕事を収入確保のためだけに行ってきたのではない.私の専門が,社会的な貢献や意味があると,自分で自覚したからこそ続けてきた.しかし,トータルに見て,そうであっても「収入確保手段」としての必要性があったから,40数年も続けたのは確かだ.
 そうした<仕事>ではなく,収入とは関係ない<労役>が,人の役に立つことや自分として意味を感じるものであれば,これからも続けよう,まだ,身体は動くのだから...

 家庭は持ったが維持できず,独りになった.<対>の関係はことごとく破綻した.しかし,再び新たな対関係を創り上げられるとは思えない.第一,桃紅さんに「甘えるな!」と叱られる.
 自分が思う<場>にも移り,住み始めた.そうして自分を入れ替えても尚,まだ<自分>がしっくりできていない.<迷っている>自分がいる.けれど,今更<迷う>ことには迷わない.迷っていい,と自分に言い聞かせている.

 それでは,これからどう生きようか...
 僅かに貯まった預貯金と親からの相続,それに二月毎に送られてくる老齢基礎年金,<これらの金の切れ目が命の切れ目>になるかもしれない.それまでに<やりたいこと>を精一杯やってみるという選択肢はあるのだから...
 でも,<やりたいこと>って,何? 考えていることはあるけど,ここじゃ言えない.

 <有り体(ありのまま)に生きる>って,実は自分に核心がないと,<有り体(ありてい)>にはならない.<核心>が曖昧なままに<生きる>って,山頭火はそうだったのだろうか? そのような<生き方>も,それはそれだと思う.それがその人の<有り体>ならば...


 今は,自分が<きちんと>自由でありたい,と感じている.

 仕事をしていなければ,確かに時間は無限にある.したいこともできる環境になる.それでも,それだけなら自堕落な<自由>になってしまう.もっと,きちんとした<自由>になれるように,自分の<核心>を創り上げたい...

 桃紅さんのように,物事を言いきれるっていうのはスゴイ!

 それができるようになるのは,私なら後30年も生きなきゃならないのだろうか?

 後10年なら何とかなるだろうけど... う~ん...

7/19届いた「墨いろ」
日本エッセイスト・クラブ賞受賞作



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