2022年8月22日月曜日

広島平和記念資料館/長崎原爆資料館 2

 2022.08.22

東京湾、川崎、横浜、

名古屋、大阪、京都、神戸、広島、呉、下関、山口、

八幡、小倉、熊本、福岡、長崎、佐世保

 上記の17の地域や都市が何であるかを、ご存知だろうか?

 これらは、アメリカ合衆国(以下、アメリカと略)のルーズベルト大統領が、1941年10月に日本への原子爆弾投下を正式に決定したマンハッタン計画の投下目標として、1945年4月27日に研究対象に上がった場所である。

 その17地域が、数日後の検討会議で「京都・広島(AA級目標)、横浜・小倉兵器廠(A級目標)」に絞られ、更に半月後の5月28日会議で、「京都、広島、新潟」が原爆投下対象に選出された。

 その後、ルーズベルトに次いで大統領になったトルーマンは、その2ヶ月後(1945年7月25日)に「8月3日以降、広島、小倉、新潟、長崎の何れか1か所に原爆投下を」と命令した。

 その結果、1945年8月6日午前1時45分、広島型原爆を搭載したエノラ・ゲイ号(原爆投下機)他2機が離陸。1時間前に先発した気象観測機が午前7時過ぎに広島上空に達した時、広島の天候は快晴だったため『歴史的爆撃に支障なし』とエノラ・ゲイ号に連絡。同日8時10分エノラ・ゲイ号は広島上空にに達し、目標地点である「相生橋」に8時15分、原爆を投下した。

 つまり、広島に投下された原爆は、当日天候が悪ければ小倉または新潟に投下された可能性も大きかったと言える。

 また、第二の原爆は、第一目標が小倉市(旧の福岡県東部、現在の北九州市小倉北・南区)、第二目標が長崎市であった。しかし、8月9日小倉上空は朝霞がかかりよく照準設定できなかったため、11時01分、長崎に原爆が投下された。

 原爆の投下目標となった理由は、日本軍の重要な兵器廠や基地があった、または造船等の工業地帯であったことが共通するが、投下の最終的な判断は当日の天候や気象条件に拠るところが大きく、つまり、広島、長崎でなくても、<最初にあげた地域はどこでも被爆地になった可能性はあった>ということである。

 そのため、このブログの読者の住所地もしくは付近が対象となっていたら、原爆の投下がどれだけ自分たちの人生や生涯を狂わせる原因となっていたかを、想像してほしい。否、それ以前に、貴方は今、この世に存在していなかったかもしれない。


 広島と長崎では、原爆の種類も違っていた!


広島投下原爆リトル・ボーイ

長崎投下原爆ファット・マン

 広島に投下された原爆は、通称「リトル・ボーイ」と言われ、長さ約3m、直径約0.7m、重さ約4tであった。そして、長崎に投下された原爆は通称「ファット・マン」と呼ばれ、長さ約3.2m、直径約1.5m、重さ約4.5tであった。つまり、第二の長崎投下のものの方が、かなり大きかった。

 詳しい資料にまだ目を通せていないが、広島に次いで長崎に2回目を投下した理由、更に2回目の長崎に投下したものが一層威力が大きいものであった理由、或いはそもそも何故原子爆弾を投下しようとしたかについて、どうやら私たちが普通理解しているような「戦争を早期に終結させるため」という理由より以上に、関係各国で働いた思惑があったらしい...。

 何より、当時の日本帝国と同盟関係にあったナチスドイツは、1945年5月7日に連合国側に降伏しているが、アメリカはその約4年も前に日本への原爆投下を決定している。確かに、アメリカが原爆実験に成功したのは1945年7月16日のようだが、では何故4年も前に日本への投下を決めていたのか?

 それは、投下した原爆が不発に終わった場合、同じく原爆開発を進めていたドイツであればその開発に逆利用される(日本にはその恐れはない)との懸念があったからという説もあるようだが、そればかりではない大国のパワーバランスや政治的な駆け引きなどが激しく行き交い、「原子爆弾」という最終兵器が構想、開発されたのではないかと思われる。

 驚くことに、当時、原爆開発は日本を含む数カ国が行っていたとの資料、文献も明らかになっているようで、これらの事情を知れば、<日本の2都市に(戦争終結のため)仕方なく原爆は投下されたという理解は余りにも単純で短絡>と考え直さざるを得ない。

 これらを含め、日本に住む者は、原爆投下の経緯や現状をなるべく詳しく知らなければならないと、今、私は思っている。自分なりに継続して考えたい。


「原爆はなぜ投下されたのか?(一問一答)」

https://www.hiro-gakkouseikyou.or.jp/gakkouyohin/book/peacebook/112

「立花隆 長崎を語る」https://www.e-bunken.com/shopdetail/000000000411/

※上記は、広島、長崎の両資料館から入手した資料。



 

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