2022年8月23日火曜日

広島平和記念資料館/長崎原爆資料館 4

 2022.08.23

 広島と長崎には、それぞれ資料館が設置されている。

 そこでは、原爆の詳細な関連記録を収集、保管し、『原爆による被害の実相を世界中の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため(「図録ヒロシマを世界に 2019年度版」はじめにから)』、英語表記を含め、外国からの観覧者にも対応している。

 その膨大な数の遺留品や写真、模型などの展示物には、多くのポイント毎に音声ガイダンスを聴取できる仕組み(有料)も設けられ、観覧する者の心をグッと惹きつける。

 しかし、その広い館内のブース毎に分かれた展示物を目や耳で確かめていくと、相当程度気持ちが揺さぶられるし、一周りしてそれらの悲惨さや残酷さを受け留め続けると、正直、心身ともにグッと重さがのしかかる。

 私が訪れた時季はちょうどお盆の真っ最中で、意外にも学齢期の子供連れも多くいた。

 館内はそれなりに混んで、1つの展示前で長く留まることはできず緩やかに波に押されたが、幸い騒がしさはなく静かに観覧することができた。しかし、訪問者の中には展示物をただ通り過ぎていくだけの家族や写真撮影だけに夢中になっている子、更に原爆被害の実態を現実のものと理解できないためか、案外普通の表情で通り過ぎる子が多く、幼い子ども連れで原爆資料館に<見に来る>ことが良いのかどうか、私には分からなかった。

 ただ、それらの子の中に1人2人、悲壮な展示写真を見るのが苦しかったのか、顔を曇らせ、『早く出よ~ヨ...』と親を催促する小学生高学年くらいの子もいた。私にはそうした子のほうがよっぽどノーマルな感受性を持っているように感じられ、少しホッとした。

 そして、こうした死と表裏する真底の悲惨さを受け留めるには、<見る>側に今ある<生>の<有り難さ=difficulty>や<生きる>ことへの<自覚>或いは<覚悟>のようなものを求められるような気がして、重い気持ちの反面、しっかり歴史を<見>なければと目を開いた。


 広島では資料館が設置される「平和記念公園」の敷地が広く続いていて、園内には「原爆ドーム」を筆頭に、平和の門、平和祈念館、死没者慰霊碑、平和の灯、原爆の子の像などが、園周囲には本川や元安川が流れていて、公園を一望できる環境にある。

広島平和記念公園 周辺マップ

長崎 よりみちマップ・へいわまち

 





 また長崎でも、広島同様「平和公園」が長く続いていて、追悼平和祈念館や平和記念像、平和の泉があり、少し離れてやはり被爆した「浦上天主堂」が立っている。

 それらの環境の中で、広島にもあるのであろうが、長崎ではメジャーな被爆地ではない、旧制の国民学校で現在も現役小学校として活動している2つの学校を見学した。というのも、その学校内には生徒への平和教育教材を兼ねた「原爆資料室(原爆遺跡)」があるからだった。

 私は、長崎駅でいただいた手作りの市内マップの中に偶然この学校が書かれていて存在を知ったのだが、原爆資料館からそれぞれ徒歩20~30分程かかる学校を訪ねてみた。それは「長崎市立山里小学校(旧、山里国民学校)」と「長崎市立城山小学校(旧、城山国民学校)」である。

 この2校には、原爆投下の同時刻、教職員が各30名ほどいたが生存者は各3~4名ほど。児童は当時、空襲を避けるため「隣組学習」が行われて通学しておらず、生徒の殆どは自宅やその周辺で被爆死したとのこと。山里小学校では児童1,581人中約1,300人が自宅で、城山小学校では児童約1,500人中約1,400人が自宅で、亡くなっている。

 長崎医大の医者で爆心地から700m離れた大学診察室で自らも被爆し、右側頭動脈切断の重症を負いながらも被爆者救護に尽力した永井隆博士が、原爆関連図書を出版した印税を両校に寄贈し、それぞれに桜の植樹を施した通学路「永井坂」が設けられている。その永井坂を始め、両校には原爆投下前の学校の様子と対比した原爆投下後の惨状、被爆者の遺品や関連資料、校舎内に備えた「防空壕」、また幼かった子らへの慰霊碑などが備えられ、一般公開されている。

 しかし、私が驚いたのは、その両校が今も現役で機能していることであった。

 現在は原爆投下から77年経っているが、山里小学校、城山小学校とも、被爆から3ヶ月後には別場所で授業を再開している。そして、それぞれ被爆から5年後には被爆校舎を修復、落成したが、山里小学校は同44年後に新校舎を建設し、そちらに移行した。

 同じく城山小学校は被爆3年後には同校を復興させ、被爆校舎修復後の翌年(被爆6年後)には被爆児童養護のため、特別学級(原爆学級)を編成している。そして、54年後からは修復された被爆校舎を再利用または開館した。

 その事実を前にした時、放射線の影響をよく知らなかった私は、修復されたとはいえ被爆校舎が現役で使われていることに驚き、「放射能の影響はないのだろうか?」と単純な疑問を抱いた。しかし、それは広島、長崎の残留放射線量に疑問を抱くことに等しく、その疑問には正確に答を得てしっかり理解すること、間違ってもあらぬ偏見を産み出すような真似をしてはならないと思い直し、直ちに公的資料を調べた。

 その結果を私が下手に要約する前に、まず公的機関の同回答に相当するHPをご覧いただきたい。


広島や長崎には今でも放射能が残っているのですか?」

回答:広島市市民局 国際平和推進部 平和推進課 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/faq/9455.html

「原爆放射線について」

回答:厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku09/15e.html

「福島第一原子力発電所事故 Q&A」Q11

回答:放射線影響研究所 chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.rerf.or.jp/uploads/2017/09/fukushima_qa.pdf

「一般の皆様へ 放射線Q&A」

回答:長崎大学原爆後障害医療研究所 https://www.genken.nagasaki-u.ac.jp/abdi/publicity/radioactivity_qa.html#a05

「あれから10年、2021年の福島の「今」(後編)」

回答:経済産業省 資源エネルギー庁 https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/fukushima2021_02.html

「原爆と原発の違いについて」

回答:市民放射能測定データサイト https://minnanods.net/learn/nuclear-bombs-powerplants/about-nuclear-bomb-powerplant.html


 上記に基づき、私が理解した要点は以下。

1)通常、地球上の自然界には、宇宙や大地から飛来、飛散し、また食物から発生する放射線(自然放射線)もあるが、人体への影響はない。

2)上記の他に、日常生活上受ける放射線には「人工放射線」があり、医療分野では胸部CTスキャンや集団検診時などのレントゲン、他分野では原子力発電所周辺の放射線量などがある。

3)広島・長崎で原爆が炸裂した際に発生したエネルギーの5%は「初期放射線」で、人体に甚大な影響(死亡・重症疾患等)を与えた。爆心1km以内の直接被爆者で生存者はほぼ皆無。

4)初期放射線は爆心地から遠くなるほど減少し、長崎では爆心地から3.5km付近で1.0ミリシーベルトまで減少(一般公衆の年間被爆総量の限度ライン相当)した。胸部レントゲン撮影時の放射線量は、同爆心地から4km付近の放射線量と同じ程度。

5)また、初期放射線の他に、爆発時発生したエネルギーの10%は「残留放射能」となった。それは、爆発後24時間で残留放射線全量の80%が放出され、その後は短期間で急速に減少した。長崎では爆心地から100m地点で、投下24時間後には3万分の1にまで減少した。

6)(残留)放射線については、戦後60年に亘る科学者たちの被爆地の土や建築資材等を採取、調査してきたデータに基づいている。科学的検証に基づいた最も信頼できるデータによっているので、原爆の威力を過小評価しているわけではない。

 以上から、爆心地からの距離にもよるが、爆発時に発生した初期放射線は元より、その後の残留放射線も爆発後数日を経た時点でほぼ無化された(≒自然界レベルまで減少)と解釈してよいことが分かる.そうであれば、広島、長崎での被爆校舎の再利用や日常生活を送る上で放射線量が問題となることはまずないと言える。


 対して、福島の原発事故から既に10年以上経つが、未だ福島には帰還困難区域(立入禁止区域)が設けられ、放射能汚染が心配される事態が続いているのは何故であろうか。

 福島第一原子力発電所では、1号・2号・3号機で「水素爆発」が起こったが、『同じウランやプルトニウムを用いても、原子炉と原爆は核分裂によって生じるエネルギー生産の規模や制御の方法が異なる(長崎大学原爆後障害医療研究所HP)』ことから、一概には比較できないらしい。確かに「原爆と原発の違いについて(市民放射能測定データサイト)」比較すれば、福島第一原発事故のほうが放射性物質の放出量はかなり大きいようだが、『原爆は熱線、爆風、中性子線による影響があり、原発事故とは性質が大きく違う。影響を(放射性物質の)放出量で単純に比較するのは合理的でない(原子力安全・保安院)』との主張がある。

 加えて、『現在(2021年4月時点)の福島第一原発では、構内の96%でどこにでもあるような作業服で行き来し、作業を行うことができる(経済産業省 資源エネルギー庁HP/以下『』は同様)』 更に、2020年2月時点の周辺住民の視察でも、『皆さんが私服で建屋に近付いた』

 その一方で、『福島第一原発の原子炉建屋の使用済み燃料プールの中には燃料は残っている』し、『原子炉内部の核燃料が溶け、様々な構造物と混じりながら冷えて固まった「燃料デブリ」も存在している』ため、『原子炉建屋の中がどうなっているか、まだ正確に分からない』状態。そのため、『福島第一原発の廃炉作業には、事故の発生後30~40年という長い時間がかかると考えられている』とのこと。

「トランクの中の日本 P96 ジョー・オダネル著」
 このように、原子爆弾爆発と原子炉事故とは明確に異なるとのことだが、核物質(分裂)を用いた全ての行いには、極めて重大で深刻な事態を招くリスクが常に付きまとうことをしっかり認識していなければならない。

 広島、長崎という、世界で唯一の原爆投下を被った被爆国として、その鉄則を忘れたかのような事故を起こした責任は極めて重大だし、この<愚行>を二度と繰り返してはならないと、私たち市民が強く自覚すべきではないか。




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