2022.06.30
『何故,歩き遍路するの?』
今から2年少し前,2回目の歩き遍路に出る時,職場のある人からそう聞かれて明確に答えられなかった.しかし,その後,私は私的文書の中で次のように書いた.
『私にとって<歩き遍路する>ということは、自分の身体に1日20km以上を<歩き続け>させる負荷を加えることで自分を一定の限界に追い込み、そこから産まれ出てくる自分の本音や、それにも疲れ果て嫌でも頭が空っぽ(無心)になった後に湧いてくる様々な想いを確かめる手段と言えました』
今回の歩き遍路では,その「空っぽになった後で湧いてくる様々な想い」の更にその後に,結局<何も考えずただひたすら歩く>ことが自分にとって意味があると気付くことができた(本編「その伍」).
<歩く>こと,または<歩き続ける>ことが<歩き遍路>の目的.
一見,この自明とも思える論理の裏に,<歩き遍路>がその過程で抱える心の葛藤や意識の変化が山ほど隠れている.
(歩き)お遍路は,本来,死装束としての白衣に身を包み,道中で行き倒れ(否,死ぬために何度も巡り続け),死んだら自分の土饅頭に刺してもらう卒塔婆代わりの五輪塔を刻んだ金剛杖を手に,歩き出す.歩く以外に手段がなかった庶民のお遍路なので,お遍路は即ち<歩き遍路>である.
そして,お遍路が巡り歩く札所は,神(御本尊や弘法大師など)や佛を祀る場である.それは庶民の日々の日常を超越した神聖な場であると同時に,日常の次にある<来世>を象徴している.その<来世>の象徴の場,つまり<来世>への入口で,<歩き遍路>は神々に必死に祈りを捧げる.それは,<来世>に安らかに繋がりたいとする<歩き遍路>の<心>のあらわれである.
一方で,<歩き遍路>(の身体)は,<現世>に生きる(ある)存在である.この世の<生き物>である以上,飲食はするし,日々の生業を立て,暮らし,人との関係の中で生きている.だが,そうした<日常>に疑問を感じ,疲れ,または嫌になり,或いは離れようと思って,お遍路に出る.
一旦お遍路に出ると,<歩き遍路>は基本的に<現世>に基づかない.
既出の辰濃和男氏が著書『四国遍路』で,名刺や腕時計を持って遍路を回ることの無意味さを説いているが,<現世>の生業や暮らしや価値観から離れ歩くのが,お遍路の求めるところである.勿論,来世物のように,無食,無飲,無眠を通すことはできないが,皆,なるべく意識は<現世>の外にある.
その究極の一つに,今の<職業遍路>やそれに類いする者たちがあるように思う.
僧侶でもない彼らが町角で乞食し,お堂や東屋での野宿を転々として,ほぼ着の身着のままで四国中を歩き続ける.それ以外に彼らが為すことはほぼないと言える.そうした,本当に四国を歩き続けている彼らなら,<現世>に身を置きながらも,意識は既に<来世>にあるように見える.
私が約30年前に暫くいたインドの,ガンガーのほとりダサシュワメッドガートで,インド各地から「死を待つ老人たち」が集まるという館のことを知った.その館で,老人たちは殆ど飲まず食わずで死が訪れる時を待つという.やがて亡くなってから,聖なる川ガンガーに戻るためにである.
ガートで死を待つその老人たちと同様,本気の<職業遍路>は,歩き続けながら<現世>と<来世>の狭間に潜む<死への入口>を探し当てようとしているのかもしれない.故に,そういう彼らが一番望むところは,<行き倒れ>なのかもしれない.
詰まるところ,<歩き遍路>は,<現世>と<来世>の狭間を彷徨う<迷い人>だ.
ただ,<迷う>ことは決して否定的な意味合いではない.否,むしろ<迷う>ことこそ,現在の自分の<有り様>を振り返っている証拠ではないか.特に歳をとってから<迷う>ことは,世間では<未熟者>を指すような風潮もあるが,私には自分の<正直さ>が現れる兆候のように思える.
10~20代のがむしゃらに突っ張って過ごした時,30~40代の家庭や子どもを抱えひたむきに暮らした時,50代の仕事などに精一杯傾注した時などを越えて,その先に60~70代,或いはそれ以上の年齢の時を迎える.その入口で,人は<迷う>.
それは人によって違うだろうが,私は<迷う>ことは,<それまでの自分の人生を大いに振り返ること>とイコールだと考えている.その<振り返り>のために,一旦<現世>を置き,離れて見ることがとても大切に思う.
<振り返る>プロセスでは,散々<迷い>や<後悔>や<懺悔>に苦しむ時があるだろう.そして,それらの<葛藤>の中から,自分を否定し,死んでしまいたいと思う時も来るかもしれない.でも,<大いに振り返る>とは,そういう覚悟を伴う.
と,ここまで書いて,今から56年前,お遍路の結願を果たした小豆島からの帰り,乗った汽船から瀬戸内海に身を投げた歌舞伎役者,市川団蔵のことを思い出した.勿論詳細は分からないが,梨園の世界で4歳から80歳に至るまで脇役としての大名を担い演じ続け,ようやくその役目を終え引退できた後,かねてからの希望であったお遍路をした後での自殺であった.
その役者は,今まで自分が世話になり亡くなった人たちの戒名・俗名をずらりと書いた笈摺(袖なし白衣)を着て巡拝を続けたというが,旅の途中,『我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ』という辞世の歌を詠んだという.
そうした彼を『思えば彼の生涯は,団蔵の家に生まれ,団蔵と名乗らざるを得なかった自分を呪い続けた生涯であった.その生涯の果てに,彼は遍路の旅を地獄の道行に変え,極楽往生の願いを堕地獄の願望に変えて,我と我が生命を断った」と評した人もいたが,逆に『誰にも煩わされることのない浄土への巡礼の日々...それは何十年脇役として生き抜いた老優の,生涯最良の幾十日だったのかもしれない』と認める人もいた.
人の目には<振り返り>は様々に映るだろうし,評価も分かれる.でも,遍路の旅が一歩間違えば自死に至るような最も厳しい<振り返り>になったとしても,それが大切ではないか.
そうした地獄のような<苦しみ>を伴う<振り返り>を嫌ほど味わえば,その後に,私の場合は不思議と<無>や<無心>が訪れた.私にとって<歩き遍路>とは,人生の<静寂>に向けて備えるべき<有り難く(difficult)><得難い>総括過程に他ならない.今後も,団蔵のように発作的に?身を投げるようなことが全く起こらないとは限らないが,それでも<振り返り>を持てない人生などには意味を感じない.
それが結論するところは,私はこれからもずっと<歩き遍路>を続けるだろうということ.
私にとって<歩き遍路>とは,そうした覚悟を自分に呼び起こしてくれる,重い成行きだった.
本編 了

