2022年6月7日火曜日

<歩き遍路>再開! その壱

 2022.06.07

 先月下旬,四国の歩き遍路を再開した.

 今回も区切り打ちだったので,期間は5月20日から6月4日まで.否,正確には20日は新幹線で岡山に行きステイしただけなので,四国に渡り歩き始めたのは21日午後から.都合15日間,ちょうど半月間の歩き遍路となった.

 歩いた札所は前回区切った65番三角寺(愛媛県最後)から88番(香川県最後),そして88番から10番切幡寺(徳島県)に降り1番霊仙寺(同左)に向けて逆打ち,途中別格寺院にも寄り回り道迷い道もあったので,締めて37,8寺,概ね300km程を歩いたことになろうか.更に,今回はお大師様の旅路に少しでも近付こうと,テント・寝袋含む10kgザックを担いだ,「なるべく野宿できる時にはする」という覚悟の歩きだったので,それなりに大変なお遍路になるはずだった.

 しかし,歩いてみると,前2回の区切り打ちに比べむしろ足取り軽く,荷の重さもさほど苦にならないどころか,気付けば既に何番か打っているという歩きだった.「こういうこともあるのだな」と改めて感心しながら,そして,最後の88番大窪寺を打ち「結願」を果たした.

 しかし,何人かの遍路人が言っているように,大窪寺を打っても「遂にやった!」という感じは自分の中に湧いてこなかった(とはいえ,大窪寺が発する「結願の証」はいただいた).むしろ,88番の次の89番(実際にはない)を目指すのが当たり前のような感覚で大窪寺を打ち,その晩88番門前で泊まった宿で1番にではなく10番を辿るルートを敢えて選んだ.

 それは,このまま<歩き>が終わってほしくない...というような願いと,<まだまだ歩きは続くはずだ>というような想いが幾つか交錯するような感覚で,複雑だった.


 今回の<歩き>は,不思議というか,改めて気付かされることが多い旅であった.

 それは,自分の身体のことから自然のことまで様々ある.

 例えば,身体のことでは今回まず空腹を覚えたことがなかった.かといって,食に満たされた旅であったわけでは勿論ない.むしろ1日ほぼ1.5~1.8食見当の日々であった.

 小数点は,良ければコンビニの三角サンド1つ,少ないとビスコ1~2袋(4ピース程)で,整数1食はまともなものでは民宿の夕食または朝食どちらかで,粗末な場合は非常食として持っていったカロリーメイト1袋(2ピース)+サラミ2かじり+アーモンド・ドライレーズン各片手のひら量というところか.最も少なかった時は,コンビニのパスタ1つの他は食事なしという日もあった.ところが,それでも空腹を全く感じなかった.

 平均して午前4時代後半,5時早々には起床し,小一時間かかりテント撤収やリパッキング,出立準備をして,6時代には歩き始めていた.そのため,1日8~10時間も歩くと疲れ果て,テントを張り中に入ると,早い時で午後6時後半には寝入ることもあった.そのため,下手に空腹を感じている暇がなかったのかもしれない.

 それでも,「腹減った」と思うこともなく,翌朝目覚めても同様.しかも,朝起きてから何も飲まず食わずで歩き始めることは稀ではなかった.というのも,起きてから下手に水でも飲もうものなら,歩き始めて少しすると便意を催すからだった.

 下の話で申し訳ないが,歩き遍路にとって,歩いている途中で催す便意ほど始末の悪いものはない.というのも,人っ子一人通らない深い山中であれば,そのために持ち歩いている携帯シャベルで迷惑にならない茂みに入り穴を掘り,事後その穴にしっかり土をかけ処理するなど非常対処の術はある.しかし,これがまま人家も散見される郊外や田舎道であると,絶対公衆トイレ以外に排便することなど許されない.それこそお遍路の評判を落とし,多大な迷惑をかけるからである.

 そういう事情もあり,身体が下手な飲食を望まないようになっていったということなのかもしれないが,不思議と「空腹」の二文字とは無縁だった.


 また,自然の有り様の不思議にも,気付くものが少なくなかった.


 山路には,それができる訳がある.

 山では雨が降り,それが水路となって上から下へ流れ落ちることで,道にうねりができる.岩盤や地層の岩が固まる硬い箇所では水は横に流れ,窪みを造って曲がりができる.人が歩く時,その曲がりに忠実に足を運べば,無理に直登するような不要な疲れを招かずに済む.特に思い荷物を背負っていたり,筋力が衰えた老人などが歩くとなれば,自分の<歩>のペースに合わせてそうしたうねりに沿って歩めば身体は前に進み,<自ずと路は拓ける>.

 しかし,今回の遍路道の山路にも,主に下りに配慮されたと思われる,木杭で階段状の段差を設けた造りが幾つもあった.しかし,そうした階段は,歩幅の合わない私などにはとても歩きにくく,段差をまたごうとする度に踊り場での歩から大きく膝を上げないと階段を登れない.山歩きの好きな人間であれば,その杭が張っていない横の自然の斜面を歩くだろうにと思われた.

 勿論,そうした階段で上り下りしやすい人もいるであろうし,土石流対策の1つとして施しているのかもしれないから,一概に良くないとは思わないが,奥深い遍路道の何か所もそのように手が加えられると,却って自然に逆らう人の行為のように思えてならなかった.

 

 また,風には<におい>があった.

 山上から吹き降ろす風や,雑草の草原の横から吹いてくる風,木々の木立の間を抜けてくる風やのそれぞれに,においがあった.それは,うっそうとした碧の樹木や樹皮,葉などを包んだ少し湿った土のにおい,枯れ草の間を吹き抜ける鼻を衝く乾いた少し青臭いにおい,間もなく振り出すであろうじっとりした水のにおいなど,様々だが,それぞれの違いがはっきりあった.


 もう一つ.

 <生き物>がよく見えた.不思議と今回,よく生き物に出会った.

 お遍路に出かける前,高野山周辺の山中を歩き慣れようとした5/19,八坂神社からの帰りに体長20cm程で半ば乾いた状態の蛇を見つけ,車に轢かれないように脇の茂みに戻してペットボトルの水をかけてやった.その後,遍路に出た5/21,65番三角寺からその奥の院仙龍寺に出る時,頭を車に轢かれた体長40cm程の蛇を見つけ,木々の下に移した.

 その翌日,仙龍寺から常福寺(椿堂)に出る山路でバッタリ1m程の青大将に出会い,やはり死んでいるかと思い小枝に乗せ脇に移そうかと枝を胴下に入れた瞬間,バッと鎌首を上げ攻撃の構えをとられた.「ヤバい!」と慌てて離れ様子を見たがそれ以上の気配がなかったので,『ゴメンね...』と言いながら恐る恐る少し離れた脇を通り過ぎた.

 その他にも,66番雲辺寺に向かう手前で,数十メートル先の参道を横切るタヌキに出会い,その下り路では太目のクレヨンより更に一回りも太いミミズを場所を変え2匹も見かけた.それだけでなく,足元を横切る蟻の姿もよく見え,『おっとっと!』と蟻を踏みつけないように歩いたことも何度もあった.

 ごく稀に他のお遍路に出会った時,その話をしても,「私は動物などには全然出会ってないけど...」と言われたが,今回の私が特別だったのだろうか?


 そんなこんなのこの歩き遍路を,何回かの続きでもう少し語ってみたい.

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