2022.06.15
愛しの「五色台子どもおもてなし処」を朝6時に出立.
83番一宮寺に向けた山路の前半は,3km弱の間に一気に300m以上も下り降りる急な坂であった.その途中で一旦は市道らしき舗装路に出たがすぐ山路に戻る.やがて地面が僅かしか見えない雑草が生い茂った山路となり,その脇には,小川や沼と思える水溜まりが続く.
路の上には木々の枝葉が濃く覆い被さり辺りを薄暗くして,足下の雑草の地面は湿地帯に近かった.誰が言ったやら,その山路は「マムシロード」(右写真)と呼ばれるルートで,如何にもマムシが出てきそうな路だった.
草むらから見える道幅は約10cmで,オヒシバなど丈の長い草が伸びていると,地面もよく見えない.それで,ブッシュ漕ぎのように草を掻き分けて進むが,「これじゃマムシが出てきても分からないな」などと思いながら進んだ.
ゲ,ゲ,ゲ! 右写真の左下部分拡大したら,
こんなん出てきました! "ヘビ" じゃねの?
昨夜の寝所から「マムシロード」には約40分で着いたが,次の一宮寺までは82番から12km程の道程.その手前5kmには別格寺院香西寺があり,山路はそこで終わる.一宮寺までの残り7kmは,県道177号線の舗装路がずっと続くが,正直,私が苦手な一般舗装路だ.
そんなことを思いながら歩いていたせいか,一宮寺までの道は迷うような道ではないのに,山路から町中郊外,JR駅がある中心部を抜け,ほぼ「碁盤の目」状に区切られた田畑エリアに入ってから,遍路道を見失う.郊外の田畑・住宅街なので,遍路道の道標など殆どなく,大きな区画の畑道を1本間違うと,結構な回り道をしてまた遍路道を見つけなければならない.
私はそれまでに,国道や県道など大きな街道にほぼ平行して走る山沿いの遍路道には大体感が働き,「こっちに逸れると遍路道はあるよネ」など当てずっぽうに歩いても見つけることができるようになっていた.しかし,町外れ郊外のエリアではその感は全く当たらず,終いにスマホのグーグルマップで調べても地図表示と縮尺が違い,目印となる建物やランドマークを見つけられない.
「ホントに地図が読めない男だよな~」と自分に呆れながら,行ったり来たりする.そのため,町中郊外の歩きには苦手意識が強く,こういう時は大抵最後には消耗して付近で宿を探すことになる.でも,一宮寺には何とか辿り着き,「町中キライ!」とばかりに早々に84番方面に向かおうと出立した.
83番一宮寺から84番屋島寺は,距離にして13.6km.一宮寺を発ったのがほぼ昼前だったので,これから歩くとちょうど夕方前か,と思いながら進む.
しかし,場所は高松市中心街のほぼど真ん中.高松自動車道や道幅の広い国道11号線,JR高徳線も平行して走り,やはり広い国道193号線と県道280号線が平行してそれをクロスしている.メイン通りにはコンビニは勿論,ビジネスホテルや旅館も立ち並び,そんな中ではお遍路姿は明らかに場違いだった.そのため,国道沿いを歩いている時,近くに停まった車から降りてきたアジア系の女性に,私は遍路姿をスマホでパチリと撮られる始末.
「こりゃダメだ」とばかりに,近くの宿をネットで探す.
すると,安宿などは既に満杯で,比較的値段が手頃なゲストハウスに空きが1部屋あった.そこを早速予約する.グーグルマップを見ながら,やはり大きな県道・市道に挟まれたエリアの一角にあるその宿に何とか歩いていくと,すぐ近くに来た時,道の向こうから頭にバンダナを巻いてロングスカートを軽やかに穿いた30代位の女性が,学齢前位の子ども2人を連れて歩いてきた.
ゲストハウスだから,ひょっとしたらそこのオーナーだったりして...などと思いながら『こんにちは』と挨拶してすれ違うと,少し経ってから子ども2人が追いかけてきて,『ゲストハウスにお泊まりですか?』と声をかけた.
『そうです.電話した○村と申します』と,私は網代笠を被った頭を子どもたちに下げた.その様子を見ていたバンダナの女性はニコニコしながら,『ゲストハウスの者です.お待ちしてました...』と言い,子どもたちには『パパを呼んできて!』と返した.
かくして,私は高松市の「ゲストハウス若葉屋」に28日の宿をとることになった.
「若葉屋」のご主人は,上の子を連れ歩き遍路をしたこともあるそうで,部屋に案内する前に「へんろみち保存協力会」編の地図を机の上に広げ,「ここは〇〇,あそこは△△」などと色々説明してくれた.お話がお好きなようで,その他にも『高野山に帰るにはフェリールートだったらこの切符を買えば○○で,夜行バスなら△△で...』と暫く話しただろうか.
そして,通された部屋は機能的かつ現代的な和風で,如何にも外国人も泊まるゲストハウスらしい雰囲気を醸し出していた.事実,そのご主人(とはいえまだ30代ないしは40始め)は外語大を卒業されたそうで,色々世界も歩かれたとのこと.
『私もインドに1年8ヶ月ほど住んでいました』と言うと,『インドのどちらに?』とか『何をされていたんですか?』など,話は広がった.それでも疲れていたこともあり,教えていただいた近所?の中華飯店に早めに行き,ビール片手に久々に中華料理を楽しむと,後から来るらしい他の泊まり客の到着を待たず,先に休ませてもらった.
私の身体は,テント生活でのスタイルが定着して,久々に飲んだビールは大瓶1本飲めば十二分,眠りは午後6時を過ぎれば何時でもOKというペースになっていた.
ただ,寝る前にゲストハウスのご主人から伺った話では,88番大窪寺への山路には鎖場があり,そこの険しい山路は結構大変で,一緒に行った長男の子が泣きながら歩いたことや,どうもその遍路道として認知されている山路は正規の参道に通じる路ではないらしく,ずっと国道377号線沿いに大回りするルートが正式らしいとの話を聞かされ,一番最後の札所も中々のものなんだなと覚悟をした.
翌朝6時過ぎ,ザックに残っていたブドウ糖菓子ラムネを10個程,「ゲストハウス若葉屋」の息子さんたちへのプレゼントとして机に置き,静かに宿を発った.
春日川やその分岐流から壇ノ浦に抜ける川沿いの町中を,相変わらず町には不相応な遍路姿で歩いているので,途中,川沿いのコンクリートでできた堤で一休みしている時,その上の陸橋を走る車の窓から,私は物珍しそうに見つめられた.
そして,JR高徳線に平行して走る,昔風の簡素な白壁で造られた高松琴平電鉄志度線の「琴電屋島駅」を横目に,小高い山頂にある屋島寺に登り始めた.
屋島寺への参道となる山路は,1km半程の距離を一気に300m近く登るため,10kgザックを担いで上がる私にはそれなりにキツかった.町中にそびえる寺院らしく,道こそ舗装され軽装で登る一般参拝客も多かったが,ここで私は10歩進んでは息継ぎし,また進んでは息継ぎするという動作を繰り返した.何度も折り曲がる参道を登るほどに眼下の町は開けてきて,高松市が一望された. しかし,いよいよ緑濃い参道に入ろうとすると,道沿いに「猪がでます.林内には入らないで下さい」と書かれた掲示板がある.これまでの三角寺,雲辺寺,白峯寺など山深い所ではみなそうだが,四国では特に「猪」の出没に注意せよとの掲示が多く,襲われて怪我をした人も少なくないそうだ.
こうした多くの人が通る寺院の参道においてすらそうなのだから,<生き物>は人間だけではないことを実感する.
そして,ようやく着いた屋島寺は,開創が唐の僧鑑真和尚で,その弟子が初代住職となったが,初めの律宗から弘法大師が真言宗に改めさせた寺とのこと.鎌倉時代末期の建築とあるその寺は,どことなく他寺と違う雰囲気を感じさせたが詳しいことは分からない.
ただ,弘法大師は他宗を改宗するなど,単に真言宗を開創流布しただけではないストーリーもあったことを知ると,それなりに種々の歴史を積み重ねたのであろうと,何か感慨深いものがあった.
屋島寺の帰り,路は違えどまた猪侵入防止柵を設けた箇所があり,猪被害は半端ないと知った.
ただ,この日,ホントに珍しくも歩いていて頭痛がしだした.知り合いへの報告用に打っているインスタにも,「本日,午前中歩いただけで頭痛がイタイ! 炎天下のねっつー症かってーの?」と,夜,コメント付写真を載せた.
お遍路歩き始めて今日で9日目.
そろそろ疲れが出てくる頃ではあったが,これまで天気もよく炎天下の日差しもキツイ日が続いた.
網代笠はツバ広で日差しをよく避けてくれ,木製経木で組まれた笠内は風通しも良かったが,直射を跳ね返す力はない.そのため,長時間熱射を浴び続けると,頭蓋内の脳に響いたのだろう.炎天下の熱射=ねっつう(熱中?)症,久し振りの自然災害?だった.
それがために,屋島寺から4kmちょっと行った所の旅館に連絡し,昼を2時間程過ぎたばかりだったが逃げ込ませてもらった.昨日に続く宿泊まり.ちょっと贅沢だが止むを得ないと,納得することにした.
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