2022年6月10日金曜日

<歩き遍路>再開! その参

 2022.06.10

 紹介されて定めた2日めの寝所は,66番雲辺寺寄りにある民宿白地荘だった.

 迎えに来てくれた宿の方の車には私の他にもう一人歩き遍路がいらっしゃり,やはり白髪の年配の男性だった.割りと無口なその方と少しずつ話をすると,その方は雲辺寺の前に67番大興寺寄りにある別格寺院萩原寺をまず打つとのこと.そのため,萩原寺を打ってから今日は取れなかった民宿岡田に明日泊まり,改めて雲辺寺に向かうと言われた.民宿岡田といえば,朝日新聞の「天声人語」を長く担当され,四国を歩いて3回回られた辰濃和男氏(1930-2017)の著書「四国遍路」や「歩き遍路」にもよく記されている宿である.

 その宿に戻るようにして,明日別格を打つというお遍路さんと白地荘で風呂が一緒になったが,左右の足指の何箇所にもテーピングが施されていた.私も数日後には同じく足にテーピングすることになったが,それは,ひたすら自分の足だけで四国を回る「歩き遍路」の証として,その同類でしか分かち合えない<覚悟の象徴>のようなものであった.

 その方が私がテントを担いで歩いていることを知ると,『私もテントがあればと思える時が何度かあるけど,もう担ぐのは無理だな~』と漏らされた.多分,お歳は私とそれ程違わないようにもお見受けしたが,確かにテントを担ぐか担がないかは大きな選択だった.


 歩き遍路とはいえ,多くの場合,有料の宿坊や民宿,旅館などに泊まり札所を打っていくのが一般的で,遅くても当日昼前までには電話で宿を予約し寝所を確保する.中には無償の通夜堂,東屋,善根宿などにだけ泊まり歩くベテランお遍路(職業遍路?)もいるが,どちらの場合も,日が落ちない一定時間までにその目的地に辿り着くのが現実的な対処だった.

 そのため,お遍路は明るい内に急いで目的地を目指したり,逆に先方が受入れ可能な時間まで長い時間潰しをするなども必要に応じてしなければならなかった.それが宿泊まりや定点泊まり遍路の苦労の種でもあり,かつ有償宿中心であれば,それなりの出費(1泊素泊まり4,000~8,000円,2食付6,500~8,000円程度)は当然伴った.一般に,「歩き遍路が一番金がかかる」とも言われる所以である.

 対して,テント・寝袋持参の歩き遍路は,自分の体力を維持しテントを設営できる場所さえ確保(山路だと結構容易)すれば,寝場所には困らない.金もかからない.

 但し! 最大の問題は,重いテントや寝袋等を抱えてずっと歩き通す覚悟である.

 宿泊まりであればせいぜい3~4kgで済むであろう荷物は,どれだけ他の持ち物を切り詰めてもテント・寝袋込みでほぼ10kgとなる.例えば私のザックの中には,着替えは1組,薄いウィンドブレーカー(防寒対策用),医薬キット,歯磨き用具(石鹸含む),ヘッドランプ(電池込)・携帯充電セット,サンダル,ポンチョ・スパッツ,細引き2m,洗濯干用ロープ(留めピン6),携帯シャベル,トイレットペーパー少量,水筒2の他はテント(ポール・レインフライ含む)・寝袋だけ.ザックの外にはシュラフマット挟み込み.

前の頭陀袋には納経セット(ロウソク・線香・ライター・納め札・賽銭用小銭・仏前勤行集~般若心経経典),メモ帳・ペン・地図・コンパス,携帯電話しか入れていない.それに穿いているズボンにはポケット5徳ナイフ,手拭い,メガネを.網代笠を被る頭には手拭い.それと,左手には108玉の数珠,右手には金剛杖(杖は重さの勘定外).それで締めて10kg.

 その重さを背負って1日8時間も歩くと,終いにはザックがズッシリ沈み込み,鋭い痛みが肩に走る.ザックのショルダーベルトが当たる肩の位置をずらしてみても,程なく痛みは戻ってくる.かといってザックを放り投げるわけにはいかないし,肩からザックを降ろしても,また担いで歩かなければ次の場所には辿り着かない.これが急な登りの山路であれば,もう泣きたくなる辛さだし,実際,過去泣きながら歩いたことも数え切れない.

 そのため,僅か数ミリグラムでも荷物を減らそうと,遍路途中で何回か不要にする荷物を絞り出し家に送り返したこともあった(例えば今回はポンチョの下に穿くレインズボンを送り返し,雨天時はポンチョ+スパッツだけのセットにした).それは私だけではなく,何人ものお遍路がしていると想像する.

 肩に喰い込む荷物の重さは,詰まるところ「これがあったら便利だろう,あれもあったらいいよね」という<自分の欲の結果>であることに気付く.人生も同じだ! 自分は仕事でも家庭でも見栄や私欲にまみれ,これまでどれ程余計な物を引き摺りながら生きてきたんだろう.遍路の荷物の重さは<人生の我欲>に等しい.ならば須らく<欲>を捨てて生きればいいんだ,という境地に至ったこともあった.

 今回はそれほどの辛さには対峙せずに済み,荷物の重さに悩むことは殆どなかったが,かように,テントを担いで歩くか否かは,歩き遍路にとっては一大決心を迫られるものでもあった.

 このお遍路では,私は夕方になってからも歩き続けた.
 それは,何よりテント・寝袋を抱えているという安心感からで,「山中であればどこでも(テントを張り)寝られる」という自信は何より心強かった.そのお蔭で,暗くなる頃に辿り着けた遍路小屋もあった.


 昨夜泊まった民宿白地荘は,地理的には雲辺寺により近かったが,山路は民宿岡田前からアプローチするコースが一般的だった.そのため,白地荘のサービスで民宿岡田まで車で送り戻してもらった私たちお遍路は,朝7時過ぎには改めて各々の目的地とペースに従い,歩みを始めた.


 66番雲辺寺は四国遍路中の最大高所にあり,次の67番大興寺方面にはロープウェイも設けられるほぼ900m級の高い山頂付近に立っている.昨夜同宿で先にその遍路道を歩き出した方はみるみる内に姿が見えなくなったが,私は10kgザックを噛みしめるように1歩ずつ登った.遍路道は1本路だったので迷うことはなかったが,さすが最高峰と言われる札所への路は半端ではなく,程なく10歩登っては杖を支えに前のめりに1分休み,息を整えてはまた登る動作を繰り返すようになった.

 そして,山路から遂に雲辺寺まで後2~3kmとなる舗装路に出ると,徐々に天空が開け見晴らしが良くなってきた.天気もとても良く,気分は爽やかだが,舗装路に出てからも永遠と続く遍路道に「長いな~」と弱気が出だした頃,もう参道になっていると覚しき路の数十メートル先を,タヌキらしい生き物が横切った.

 「えっ!」と驚き消えた先を目で追っていると,後ろからディパックを背負った女性の歩き遍路が音もなく近付いたようで,急に『こんにちは~』と声をかけられた.タヌキに気を取られ,全く後ろの気配に気付いていなかった私は,思わず『ビックリした~!』と声を漏らした.それを見て,その女性はマスク越しにニコッと笑いながら,軽快に私の横を通り過ぎていった.

 そして,ようやく8時過ぎに山頂の雲辺寺に着いて境内に入ると,昨夜同宿で先に歩いて行ったお遍路さんが『早かったですね~!』と声をかけてくれた.その雲辺寺の境内は,車やロープウェイで上がってきた参拝客がそれなりにいて,先程までの山路の静けさとは大違い.

 その雲辺寺を参拝しゆっくり降りようと進み始めると,何と五百羅漢の路に出た.

 何とも凄い.そのそれぞれの表情の豊かなこと.雲辺寺の真髄ここにあり,と思わせられる見事なものだった.

 しかし,雲辺寺の帰りは高低差900m以上をひたすら下る山路で,”その壱” で述べたように木杭で止められた階段が長く続いた.重いザックを担いでいる私には,その段差を降りる度に強い衝撃がまともに膝を直撃し,思わず「ニークラッシュの坂」と命名するほど辛い下り坂であった.

 それでも,何とか11時過ぎに下り切ると,町中に続くであろう道の端に自販機がポツンとあった.まさに天国の休憩と,自販機から飲料を買い飲みながら暫しの休憩をとった.


 日本が優れていると思われることに,自販機やコンビニ設置の充実ぶりがあるのではないか.自販機は,地方の田舎道の大抵どこにも備わっている.流石に遍路道の険しい山路にはあり得ないが,町外れにも1~2台の自販機は普通にある.また,コンビニは歩き遍路や移動者にはオアシスのような存在で,私の遍路時はコンビニのイートインが食事付き休憩所そのものだった.

 ちなみに,お遍路が食事をする際やトイレに入る時は,(半・輪)袈裟は勿論,白衣・笈摺(おいずる:袖無し白衣)を脱ぎ,納経帳や金剛杖を置くのが正式な心得である(但し,香川では納経帳が盗まれることも多いらしくやむを得ないこともある).「南無大師遍照金剛」やお大師様の象徴梵字が打たれているからである.そのため,食事中も脱いだ白衣や半袈裟,金剛杖等をザックと共に脇に置けるイートインは,私にとってうってつけの休憩場所であった.


 とまれ,雲辺寺麓の自販機で休憩後は,67番大興寺,地続きの68番神恵院69番観音寺の計約18km(雲辺寺から)を一気に歩き,その晩はすぐ近くの琴弾公園にテントを張ることにした.

 雲辺寺手前で私を軽やかに抜いていった30代位の女性の歩き遍路は,67番,68・69番でも一緒になったが,69番で携帯片手に宿取りに苦心しているようだった.

『私は今夜は琴弾公園でテントですよ』と私が言うと,『私も善根宿が見つからなければ,野宿するかもです...』と女性.『えっ,(女性が)野宿ですか?』『私,シュラフ(寝袋)カバーを持っているので...もし,公園で会ったらよろしくお願いします...』

 そう,この時期になると大分温かいため,着込んで寝ればシュラフカバーでもいいかもしれないが,女性独りが公園でテントなしの身一つで野宿となると,私が女性ならすごく躊躇われる.それをその女性はするかもしれない,と言う.時代の感覚やジェンダー意識がその抵抗を取り去っているのかもしれないが,女性の歩き遍路の中には,こういう覚悟を持ちながら歩いている人もいることを,改めて教えてもらったように思えた.

 幸い? 琴弾公園には見る限り野宿は私一人だった.

 しかし,遅くなってから,私がテントを張った場所から少し離れた一角に止まっている車で,話し声が聞こえたり音楽が小さくなったりして,最近流行りの「ホームレス狩り」のような攻撃でもされたらマズイなと,山中で獣の鳴き声を聞いた時より不安を感じたのは意外だった.

 それでも,かの女性が公園にいなかったことに安心しつつ,いつしか寝入っていた.



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