2022.06.17
「道の駅ながお」の一角に張ったテント内は,前の県道3号線を猛スピードで走るダンプの音が深夜になっても時折聞こえてきて,うるさかった.しかし,私はしっかり眠った.
そして,朝4時半前には起き用意をして,5時半過ぎには歩き始めたが,昨日の雨をたっぷり吸ったアスファルトの歩道は,割れた継ぎ目からオヒシバなどが私の腰以上に長く伸びずっと続いていた.この道は徳島方面に抜けられる道ではあるが,歩道を使って歩く人なぞまずいないことをそれは示していた.
前山ダム沿いの道の駅から大窪寺までは,3つのルート(遍路道)がある.
1つは標高410mを通る山路を経て国道377号線に出,女体山をグルっと回っていくルート,2つ目と3つ目は前山ダムから大窪寺までの女体山縦走ルートで,最後の2kmちょっとで2つは合流するが,その手前5,6kmは西側を通るか東側を通るかで分かれた.
標高は前山ダム辺りで140m程だが,2ルートとも合流手前5,6kmの間に300,400,500mと標高が上がって,合流してからの最高点は地図上では標高776mになる.四国八十八か所の遍路道での最高点は雲辺寺の910mだが,大窪寺も負けず劣らずの高さ.しかも聞くところの「鎖場」もある.ということは...結構,ヤバい !?
まさか,最後の最後でひょっとしたら一番厳しい札所なの?と少し臆しながらも,私は直行ルートの東側を通る山路に決め,進んだ.少し行くと,今は草が茂るダムの広い貯水用エリアに何か動くものがいる.止まってよく見ると,ずっと遠くなのに,猿の一群が私の気配を感じて森の中に逃げていった.Oh, Wild だぜ!
「深い山に<水>は付き物だな」などと思いながら進んだが,その水は後になって「鎖場」があると言われたエリアで手こずらされる一因にもなることを,その時はまだ想像できなかった.
その後,いよいよ本格的な山路に入ることになった(写真上がその山路入口だが,左に伸びる幅の広い道じゃない.真ん中にある小さな遍路道標示の右横の路?.その拡大図が下の写真).
その山路は夥しい落ち葉や枝,倒木などで路が被われ,時折覗く岩肌は勿論,地面全体がしっとり濡れていて,歩きにくくはなかったが,山の奥深さをしっかり実感させた.
そして,その路を抜けると,遠くに目指す女体山山頂が見えてきた!
それから暫く行って,女体山山頂にある大窪寺の2km手前,西側ルートと合流する地点に来た時,この近辺の「太郎兵衛」や「古大窪(ふろくぼ)」の名の由来の掲示物などがあり,一時の憩いになった.しかし,以降の路はどんどん険しさを増し厳しくなった.
しかも,路とはいえ,硬い岩があちこちに露出する岩礁路で,これがまた昨日の長雨の影響であろう,テカテカと濡れて光っている.「う~ん,こりゃ,滑るな...」と気を引き締めて歩くが,一休みや息継ぎする度,どんどん高度と険しさを増していくその山路には,じっと覚悟を決めるしかなかった.
やがて山路は,コンクリ造りの階段や石段,木段,岩段?などが多くなり,明らかに "天国への階段 (Stairway to Heven~1971 Led Zeppelinというロックバンドがリリースした曲の題名...)" だななどと思っていた時,遂にガチンコ急斜面に出くわした.
見るまでもなく,その傾斜に抗って登っていくには,右手に持っている金剛杖は邪魔になる.これから先に「鎖場」が出てくるのであれば尚更なので,今朝アタック前に縛り付けていた網代笠に加えて,金剛杖もザック左側のベルトに差し込み,外れないようにしっかり縛り付けた.
後は,「岩にかじりついてでも登ってやる!」と覚悟を決めたが,文字通り,それは岩にへばり付きながらでなければ登れない厳しいアタックになった.
鎖場---と「ゲストハウス若葉屋」のオーナーが言われた場所は,それこそ角度60度はあるであろう岩盤斜面そのものだった.その岩肌には手をかけやすい凹凸も殆どなく,岩盤の隙間の土にしがみ付くように延びる木の根っこがよじ登る際の心強い「手がかり」になったほど,斜面は急で危うかった.
岩は濡れていて滑る.僅かな岩の窪みを足がかりにしようと爪先を入れても,しっかり喰い込ませないとツルッと滑り靴が外れる.手がかりが何もない所で爪先が滑ったら,10kgのザックの重みが牽引力となって,確実に私の身体を崖下に引き落としてくれる.
「ヤバいな~」と必至に両手指,両足指を岩面に爪立てしがみつきながら,僅かな手がかり・足がかりを頼りによじ登った.その斜面の途中で,岩盤の険しさを写メに撮ろうと努力したが,やっと片手でスマホを出しカメラを起動,シャッターを切ろうとしても,ちょっとでも間違えば自分がそのまま転落.
よくてカメラを落としてオジャンにしてしまう危険箇所なので,かなり躊躇いながらも,それでもやっと撮った写真がこれ(右3枚~縦2,横1).
かつてはそこに鎖が張られ,登山者の手がかりとして設けられていたのであろうが,今は鎖はない.鎖があったであろうと思われた箇所には,今は「コ」の字型の大型アンカーボルト(よく掘りの深い放水路の昇降用階段代わりに設置されている)が横に数個,間隔を開けて付いていた.
後で「八十窪」の大女将に聞いた話では,かつては鎖場があったのだが,その箇所で転落等の事故が起きたため,不安定な鎖ではなく安全性を高めようと,現在の金具に変わったとのこと.
そうは言っても,私からすれば今も充分な危険箇所で,ましてお遍路が金剛杖を突いて登れるような傾斜角では到底ない.そのため,言い換えれば「軽度?ロッククライミングポイント」と,私は名付けよう!
ロッククライミングであれば,合計10kgにもなる重いザックや前の頭陀袋を身体に付けて登るなど,あり得ない.バランスを取った微妙な身動きができなくなるからだ.しかも,私は「クライマー」じゃなく<歩き遍路>だー!.それでも,『なんじゃ,こりゃ~!』などと言いながら必死に喰らいついた.
85番八栗寺手前で泊まった「高柳旅館」のご主人は,その鎖場の高さを『せいぜい1,2mだ』と言われたがとんでもない.実感,建物2階以上を上がる高さがあったので,ざっと7,8m以上はあるだろう.
そういうリスキーポイントが女体山越え遍路道には今もあり,「どこが "女体" だ~!」などと思いながらも,それは「四国霊場結願所」として「女体山」という剛峰を擁する大窪寺への必須関門なのだろうと,岩礁を登り切った後につくづく思った.
とまれ,そうしてやっと辿り着いたのが女体山山頂.そこから見下ろすさぬき市の遠望や山の翠の深さにホッと息を撫で下ろしたのも束の間,まだ大窪寺納経は終わっていないと,また歩き始めた.
大窪寺手前では,僅か1km程の間を340mも一気に下降する.その急坂で,『今度はなだれ落ちかヨー!』とつい愚痴を吐きながらも駆け下りた.すると,参道へと通じる階段が出てきて,そこを降りると先に大師堂に着いた.
「八十窪」の大女将に後で聞いた話ではあるが,このことからも,正式な参道への遍路道は,国道377号をずうと大回りに回ってくるルートの方かもしれなかった.
何れにせよ,奥深い山頂の寺院である厳かさや趣きはお寺の柱の一つ一つ,墓石や石碑の一つ一つにしっかり現れていて,更に「四国霊場結願所」としての格式も感じられ,印象深かった.その大窪寺では遂に「四国八十八か所 結願の証」をいただき,歩き遍路の誉となった.その大窪寺を打ち終えたのは,午前10時半.
(道の駅からだが)歩き始めて5時間.前山ダムでの標示より1時間多かったが,何とか札所結願所を打ち終った.
しかし,私は「結願」を果たしたからと言って,正直言って,それに響く感情は全く湧いてこなかった.88番を打った後は,当然89番があるかのように次を目指すことしか意識しなかったし,「もっと歩き続けたい」というのが本音だった.
そのためにこそ,今夜,お遍路の定宿となっている「八十窪」に泊まり,結願を果たした以後の<歩き遍路>の成り行きを,情報として確かめたかった...
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